「光る君へ」竜星涼、隆家のマインドの強さの理由を解釈 「誰かと比べているうちはうまくいかない」
その伊周を演じた三浦とは、「ああいう(緊迫した)シーンが多かったので、よく喋るという感じではなく、お芝居の中で会話するっていう感じでしたかね」と言い、最も印象深かったシーンとして先の伊周の最期を挙げる。
「その後、ききょう(清少納言/ファーストサマーウイカ)もそうですけれど、伊周側の人間たちはずっと人を恨んでそれを根源に生きているので、何でもそうですけど、誰かと比較しているうちはやっぱりうまくいかないと思うんです。自分がどうするか、自分がどう変わるか。兄貴は変われなかった。おそらく自分でどうにかしたくてもできなかったんだろうと思うんですけど。それが中関白家の貴族の長男の生きざまのような気もしますけどね。父の遺志を継いでいたから、そこから出られなかったプライドみたいな。それを奪われても地を這って強く生きられたのが隆家だった、ということでしょうか」
ところで、竜星自身にも過去に誰かと比較して進めずにいることはあったのか? 「10代から20代前半ぐらいの若いころは、きっと皆、同年代、同世代の俳優をライバルとして、比較するものじゃないですか? でも、やっぱりそこじゃなくて、 自分がどういう風になっていきたいかとか、自分自身と向き合った時に、初めてより多くの方に見ていただけるような存在になるのかなという気がします」
伊周の最期では「隆家の中で一つの区切りというか、人生の第2章が始まるような感覚もありました」ともいう竜星。伊周の死後、隆家は兄との約束通り、彼に代わって定子の皇子である敦康親王(片岡千之助)の後見を道長に申し出ると同時に、「敦康さまの後見となりましても、左大臣様にお仕えしたいと願っております。どうかそのことをお認め下さいますよう伏してお願い申し上げます」と道長に忠誠を誓った。ここでも隆家は「わたしは兄と違います」と主張していたが、今後彼がいかにして自分らしく生きていくのか。その行く末を見届けたい。(取材・文 編集部・石井百合子)