アサド氏、改革期待も独裁者に 兄の死契機、医学の道から転身 シリア
内戦下のシリアで反体制派の大規模攻勢により8日、ロシアに亡命したバッシャール・アサド大統領(59)は、父ハフェズ・アサド前大統領の急死を受け、2000年に大統領に就任した。 当初は政治犯釈放や言論規制緩和を実施。「改革者」として期待されたが、次第に独裁色を強め、11年に始まった内戦で反体制派を弾圧し人道危機を招いた。 国内少数派のイスラム教アラウィ派に属する。ハフェズ氏は、同派が主流だった軍で頭角を現し、フランスの委任統治からの独立後も混乱が続いたシリアで、1970年に無血クーデターにより国家運営の実権を握った。眼科医の道を進んでいたバッシャール氏は、ハフェズ氏の後継候補だった兄の事故死で94年に留学先の英国から呼び戻され、軍で経験を積んだ。 就任後の改革は「ダマスカスの春」と呼ばれたが、徐々に強権姿勢が目立つようになる。全国で情報機関が目を光らせるシリアで、体制批判には拷問も含め、厳しい姿勢で臨んだ。 2011年に中東の民主化運動「アラブの春」がシリアに波及すると、反体制派を「国家を不安定化しようとするテロリスト集団」と断じ、徹底的な弾圧を指示。市民に対し化学兵器を使用したと非難された。