杉咲花は「孤島に咲く花」…素朴さと可憐さを両立させた”朝子”がハマリ役なワケ。『海に眠るダイヤモンド』第3話考察レビュー
人は近すぎるものは見えづらい…。
そんな朝子の楽しみが、花を愛でること。小さい頃、海に落ちて赤痢にかかってしまった朝子は鉄平が届けてくれたガラス瓶を大人になった今でも後生大事にし、花を挿している。 映画への出演は叶わなかったが、中之島の桜が見えただけで「夢が叶った」と素直に喜べる彼女はもともと、ささやかな幸せを価値あるものとして大事にできる人だ。 ただ時々、もっとキラキラとした人生があるように思えて、手を伸ばしたくなるだけ。そんな朝子に、鉄平は中之島からの端島を見せる。夜の海に浮かぶ端島は建物の灯りでキラキラと輝いていた。人は近すぎるものは見えづらい。自分自身のことも。 朝子の世界の全てで、飽き飽きしている端島が外から見ると美しいように、朝子自身も百合子や賢将(清水尋也)からするとキラキラしていて目が離せない存在。同じように、演じる杉咲も今回は一見素朴な印象だが、可憐で存在感があり、改めてキャスティングの妙に驚かされる。
いづみ=朝子なのか?
人は無い物ねだりだ。現代の東京に生きる玲央(神木隆之介)もまた、他人を羨ましく感じていた。いづみ(宮本信子)の家に転がり込み、いづみの家族と初対面を果たした玲央。 後日、いづみの孫である千景(片岡凛)のホスト通いを知った玲央は口止めされたにもかかわらず、彼女の親にそのことをバラす。そこには彼女が持つ、恵まれた環境へのやっかみがあった。 そんな玲央にいづみは会社の屋上に咲く桜を見せ、「あんたが私をわからなくても、私があんたをわかってやれなくても仕方ない。誰の心にも山桜はあるんだ」と語る。 劇中で紹介された百人一首「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」は、誰もいない山奥で修行に励んでいたとき、思いがけず見つけた桜にその孤独を癒された前大僧正行尊が歌ったもの。 大きな会社を経営し、お金には一切困らず、家族とともに暮らすいづみは端から見れば幸せだ。 しかし、子供たちはいづみの財産をあてにしており、孫たちも競争を強いられていて家族は純粋に仲が良いとは言えなかった。 そのなかで、孤独を感じているいづみ。 「世界を壊すのは、いつだって権力と金だ」という夏八木の言葉が思い起こされる。いづみの理想とする世界もまた権力と金に壊されたのかもしれない。 そんな中、いづみは「さあ、一緒にこの会社を潰そうじゃないか」と鉄平を連れて自身が経営する会社に乗り込む。その思い切りの良さは百合子かリナ(池田エライザ)っぽいが、権力や金よりもささやかな幸せを大事にし、花を慈しんでいるところは朝子に重なる。 それに、ホストクラブを訪れたときにいづみは「私 キラキラしたの大好き」と言っていた。いづみは忘れられない人として鉄平の名前を挙げているが、今のところ明確に鉄平に対して恋愛感情を持っているのは朝子だけだ。 となると、いづみ=朝子なのか。もしそうなのだとしたら、素朴で可憐な食堂の看板娘から、パッション溢れる都会的な会社経営者に変化する過程が気になるところだ。 【著者プロフィール:苫とり子】 1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。
苫とり子