キャスターに求められるものとは【山本浩之アナコラム】
【ヤマヒロのピカッと金曜日】 先週に引き続き、TVキャスターの話をしよう。 先日、小倉智昭さんが亡くなった。アナウンサーとして私より15年ほど先輩にあたる。昔から芸能人のスキャンダル報道には辟易(へきえき)していたので情報番組を見ることはほぼ無かったが、小倉さんが司会を務めた『情報プレゼンター とくダネ!』のオープニングのひとりしゃべりだけはほぼ欠かさず見ていた。 朝の視聴率激戦区。ライバル番組がゴシップや衝撃的なニュース映像をぶつけてくるなか『とくダネ!』の小倉さんだけは毎朝、自分の考えを滔々(とうとう)としゃべることから始めた。ジャンルはその日に扱うニュースの内容にとどまらず、映画、音楽、スポーツなどさまざま。洒脱(しゃだつ)で軽妙で、ウイットに富んだ表現はとても勉強になった。 時には大変厳しい物言いをすることもあった。内容も、毎朝一人で考えていたと聞いて大いに納得したものだ。何人かのスタッフと一緒に練っていたら、ついバランスを優先してとてもあんなに辛辣なコメントはできなかっただろうから。 『とくダネ!』が始まった1999年頃には、ニュースや情報番組でキャスターが自分の意見を言うこと自体はもう珍しくなかったが、その中でも小倉さんの表現は秀逸だった。同時に『批判やバッシング上等!そんなものが怖くてこの仕事が務まるか』といった勇気と覚悟が見て取れた。 司会者やキャスターは皆、自らのコメントの一つ一つがどれほどの影響力を持つのかをもちろん熟知している。それでもおかしいことはおかしいと、言葉を濁さずに訴えることができるかどうかが最も必要な資質であると、私は思う。 05年に公開されたジョージ・クルーニー監督の映画『グッドナイト&グッドラック』。50年代のアメリカを舞台に、実在したニュースキャスターであるエドワード・マローが「マッカーシズム」(赤狩り)に立ち向かう姿を描いたノンフィクションで、日本でも話題になった。まだ報道の力が認められていなかった70年も前のテレビ黎明(れいめい)期の話である。 「信念を持った勇気ある行動」と称賛されたマローだが、最終的には放送局を後にすることになる。何が原因だったか詳しくは知らないが、自身も深く傷ついたであろうことは容易に想像できる。22年間、司会者として発信し続けた小倉さんも、歯に衣(きぬ)着せぬ発言をする一方で、いつでも降板する覚悟は胸に秘めていたのではないだろうか。 今でも、権力者にモノ申せば有形無形の圧力を受けることがある。私も何度も経験した。視聴率、スポンサー、経営者に向き合いながら、それでもあえて先人達が発言し続けてきた意味を現役のキャスター諸氏にはかみしめてもらいたい。(元関西テレビアナウンサー) ◇山本浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。