行定勲、初の韓国ドラマの現場で感じた“ストレス”と“可能性” 「また韓国で作品を作ると思う」
「是枝監督、三池監督に続かない手はないよなって(笑)」
――現場での演出については、いかがでしたか? どんなところを意識しながら、行定監督は演出していったのでしょう? 行定:やっぱりまずは、俳優の芝居をちゃんと撮るってことですかね。あと、陰影だけは常に気にしていました。韓国ドラマを観ていると、フラットなトーンというか、ライティングが多い印象があったので、映画的なアプローチで、きっちり陰影をつけるようにして。映画の人たちが撮った痕跡みたいなものは、今回のドラマの場合は、やっぱり必要なんじゃないかと思ったんですよね。そこはカメラマンとしっかり話し合って決めていった感じですね。 ――冒頭から不穏な感じがする話というか、血が出たり家が燃えたり、これまでの行定監督のテイストとは、ちょっと違う雰囲気の映像になっていますよね? 行定:そうですね。ただ、そういうものに対して、僕としては、あまり腕まくりして撮っていないというか。そこは現地のスタッフのほうが緻密だし、こだわりが強かったようなところがあって。たとえば、炎に対するこだわりとか(笑)。「こういうショットにしたら、どうですかね?」みたいなことも、結構スタッフのほうから言ってきてくれたりもしたので、僕はあくまでも、俳優たちをどう撮るか……あとは、派手なことが何も起こらないシーンをどうやって撮るかみたいなことを、結構考えていたかもしれないです。韓国ドラマって、3話目、4話目ぐらいから面白くなるとか、みんな言うじゃないですか。僕は、その3話目、4話目ぐらいまでが、結構好きだったりするんです(笑)。それ以降は、こうやって話が転がっていくんだって、ある程度わかってしまうようなところがあるというか、そういうものを全体として裏切りたいという気持ちがあって。「どうせ、こうなるんだろ?」って感じのものには、やっぱりしたくないっていう(笑)。 ――(笑)。確かに冒頭は不穏ですけど、そこから青春群像劇みたいなものが始まって……なかなか一筋縄ではいかない展開のドラマになっていますよね。 行定:そうなんですけど、そこで面白いのは、第1話の冒頭で、ある人物が刺されるじゃないですか。あのシーンは、僕が納品したものには入ってないんですよ。僕が納品したものは、血まみれの少女が坂道を歩いていくシーンからスタートしていて……映画の始まりとしては、やっぱりそっちじゃないですか。だけど、そこなんですよ。KBSが放送するにあたって、最初に事件のシーンを入れることが絶対条件だって言ってきて。それが衝撃的でいいんだっていう。 ――正直なところ、登場人物たちの関係性もよくわからないまま、いきなり事件が起きたので、少し面喰ったところがあって……あと、ある人物が、いきなりカツラを取ったりして(笑)。 行定:そうですよね(笑)。だから、言ったんですよ。「何で最初に全部見せちゃうの?」って。そしたら、「第1話で観たことなんて、最終的には誰も覚えてないから大丈夫だ」っていう(笑)。これが、地上波の韓国ドラマなんですよ。最初にガーンと衝撃的なシーンを見せて、「なんかわからないけど死んだ!」「なんで死んだの?」という疑問を、そのあと回収していくという。フリがあって回収する、そしてまたフリがあって回収するっていう作りが好きというか、少なくともテレビ局の人たちは、それが視聴者の関心を惹きつけると重視しているんです。 ――こうして話を聞いていると、戸惑うことや苦労したことも多かったようですが(笑)、行定監督はこれまでも、韓国、中国、マレーシアなど、アジアのいろいろ国で、現地の人たちと積極的に作品を撮られていますよね。その理由は、どんなところにあるのでしょう? 行定:どうなんでしょうね。やっぱり、これまでずっと、アジアの映画に刺激を受けてきたっていうところなのかな。そのお返しではないですけど、特に今回は、向こうの人たちが、ある程度僕の存在を知っているというか、『世界の中心で、愛をさけぶ』だったり『GO』だったりを知っていてくれていて、その監督が撮るなら良いキャストとスタッフが集まるんじゃないかってところから、スタートした企画だったみたいなので。それはそれで、すごいありがたい話だし、是枝(裕和)監督が『ベイビー・ブローカー』を撮られたり、三池(崇史)監督が『コネクト』っていうOTT作品を韓国スタッフ・キャストと撮られたりしているような流れがある中で、それに続かない手はないよなって思って(笑)。まあ、それらの作品と何がいちばん違ったかっていうと、地上波が絡んでいたってことなんだけど(笑)。 ――(笑)。 行定:ただ、韓国の地上波ドラマを外国人の監督が撮るっていうのは史上初なので。その逆パターンというか、日本のテレビドラマを外国人がいきなり来て撮るみたいなことってないじゃないですか。だから、それは逆に面白いんじゃないかって思ったところがあって。あと、『リボルバー・リリー』がその最たるものだったんですけど、国内で映画を撮る場合は、「これがやりたい!」っていう信念のあるプロデューサーに声を掛けられて、それに寄り添ってみようと思う場合もあれば、その一方で、『劇場』のように、すごくミニマルなんだけど、自分がどうしてもやりたくて、原作者に直談判して撮ったみたいなものがあって。まあ、そういうやり方のほうが、自分としてはしっくり来ているというか、今の自分のキャリアを考えたら、これからはそういうやり方をしていくのがいちばんいいのかもしれないけど、大きな冒険をさせてくれるようなものって、なかなか自分からはやらないじゃないですか。やる必要もなくなってくるというか。 ――なるほど。 行定:でもやっぱり、最初に言ったように、これまでずっと、アジア映画の影響を受けてきたからっていうのが、いちばん大きいのかな。僕は、若い頃にホウ・シャオシェンとかエドワード・ヤン、ツァイ・ミンリャンとかの映画に出会って、彼らにあこがれながら映画を撮ってきたようなところがあるんだけど、その「核」みたいなものを知らないまま、自分の土壌で映画を撮るだけでいいんだろうかっていう思いもあって。やっぱり、コロナ禍があって……まあ、コロナ禍がすべてだけど、あの時期を過ぎたあと、世界配信っていう感覚が、もう当たり前になったじゃないですか。 ――そうですね。 行定:そういう中で、たとえば日本や韓国をはじめ、各国のNetflixがローカルで作ったものが世界配信されるっていうパターンは、もうだんだんと見えてきている。『忍びの家 House of Ninjas』のように、日本の企画の中に外国の監督が入ってくるケースも、少しずつ出てくるようになってきて。それって、もう当たり前だなって思うんですよね。どの国に軸を置いてもOTTであることは変わらないので。もはや、そういう時代なので、僕の場合は今回ソウルに軸を置いて、現地の俳優だったりスタッフたちと一緒にやってみたっていう。そういう感じなんですよね。ただ、今回の作品が、今後自分が作るであろう作品の足掛かりには、絶対なっているような気はしていて。僕はまた、ここに戻ってくるというか、また韓国で作品を作ると思うので。この『完璧な家族』という作品は、きっとそういう位置づけの作品になっていくんじゃないかと思うんですよね。
麦倉正樹