60歳で会社を辞めてモデルに転身した藤原民子さんの年齢にとらわれない生き方とは…「ダメならやめればいい」
人生100年時代。年金、不況、物価高……と先行きに不安を感じる昨今。人生100年時代をどう生きていけばいいのだろうか? 【画像】64歳、藤原民子さんの活動 年齢にとらわれず、本当の自分らしい生き方を見つけてチャレンジしている60歳以上の女性51人をインタビューした『60歳からの生き方図鑑 いくつになっても「今がしあわせ」と言える女性でありたい』(グラフィック社)から60歳で会社を退職し、プラチナヘアモデルに転身した、現在64歳の藤原民子さんのインタビューを一部抜粋、再構成してお届けする。
60歳で会社を退職し、モデルに転身
プラチナヘアモデルとして活動しています。また、ブログやインスタグラムでメイクやファッションの情報も発信しています。それまでは化粧品会社の美容部員をしていました。高卒で化粧品会社の美容部員になりました。結婚して、しばらく専業主婦をしていましたが、38歳のときにまた、美容部員(契約社員)として働き始めました。60歳で退職してからはモデル一本に。61歳のときにはスタイルブック『60代から輝く!ファッション・メイク・生活スタイル』(池田書店)を出版しました。 月刊誌『素敵なあの人』(宝島社)で連載を持ったり、テレビショッピング番組「ショップチャンネル」に出演したりしています。「ショップチャンネル」内のブランド「スタイルアップ、スタイルカバーが叶う タミ・ブラーマ」ではブランディングもしています。年齢を重ねるにつれて、体形の悩みは増えていきます。「タミ・ブラーマ」では、隠したり、誤魔化したりするのではなく、バランスよく見せて、大人の女性が素敵に見える洋服を提案しています。
人生の転機は、53歳のとき。入籍後2週間で夫を亡くす
人生の転機は夫の死です。私はこれまで3回結婚しているのですが、53歳で出会った夫は、私のやりたいことを理解して応援してくれる人でした。 この人とならこれからの人生二人でやっていけそうと思っていたのですが、入籍から2週間で、持病が悪化して亡くなってしまいました。 あまりにもあっけなくて。それからいろんなことを考えました。このとき、「人はいつどうなるかわからない。だからやりたいことをやろう」と思ったんです。 それから57歳のときにインスタグラムを開設しました。そこで美容部員の知識を活かした大人のメイク方法や、ファッションのことを投稿し始めたんです。おそらく私がみなさんに認知され始めたのは、白髪染めをやめたあたりだと思います。 もともと勤めていた会社では、細かく身だしなみのルールがありました。白髪も染めなくてはいけなかったんです。でも、私は日頃から白髪染めって伸びた部分が老けて疲れて見える、しかもおしゃれじゃないって思っていて(笑)。だから私は会社に「こういう理由で白髪は染めずにいきます」という嘆願書を提出しました。それが認められ、髪はブリーチして明るくしました。 ただ、グレイヘアに移行しているときは華やかさがありませんでした。そこで少しでも元気に見えるようにパーマをかけたんです。その私のスタイルができていった頃から、インスタグラムのフォロワーがどんどん増えていきました。 そこから私の人生は変わりました。2018年には『素敵なあの人』(宝島社)の私服拝見企画に4ページにわたって掲載されました。同じ頃にショップチャンネルからコアモデルとしてのブランドの依頼がきて「タミ・ブラーマ」がスタートしました。その年の9月に前職を退職。新たな人生をモデルとしてスタートできたんです。夫との生活はとても短かったけれど、私の人生に大きなものを残してくれたと思っています。