売るのはHMDではない?! ソニーが仕掛ける空間エンタメ技術「XYN」とはなにか
ソニーはCES 2025にて、「XYN(ジン)」という、新たなソリューション・ブランドを発表した。目的は「空間エンターテインメントコンテンツ制作支援」。3D CGやいわゆるXR環境で利用されるコンテンツの制作に必要なツール群と、そこで必要となるハードウエアを組み合わせた「ソリューションビジネス」のブランドだ。 【画像】ソニー株式会社 インキュベーションセンター XR事業開発部門長の鈴木敏之氏 ここ数年、ソニーグループは「クリエイター向けの技術」にビジネス資本を集中している。XYNもその流れに位置する存在であり、CESのソニーグループ・ブース内でも扱いは大きい。 他方、「ヘッドマウントディスプレイを開発」「モーションキャプチャデバイスのmocopiをプロ向けに提供」といった、ハードウエア的な展開が目立ちやすく、結果として「これはどんなビジネスを目指すものなのか」が見えづらくはある。 なぜソニーはXYNというブランドでビジネス展開を行なうのか? 開発されたヘッドマウントディスプレイなどはどういう意味を持つのか? そうした部分を、XYN事業の責任者である、ソニー株式会社 インキュベーションセンター XR事業開発部門長の鈴木敏之氏に聞いた。 ■ XYN=HMDという誤解。狙うは「コンテンツ制作環境」 まず、目立ちやすいところから行こう。 CESのソニーグループ・ブースには、XYNのコーナーが広く展開されている。複数の技術が展示されているが、やはり目を惹くのはヘッドマウントディスプレイ(HMD)だろう。 色が黒く変わっているが、ベースとなっているのは、昨年のCESで発表された「没入型空間コンテンツ制作システム」ことSRH-S1の設計を使いつつ、顧客層を拡大したものである。 片目4Kの高画質マイクロOLEDを使った高精細なもので、画面部はフリップアップするようになっている。 まだアナウンスはされていないし、ソニー側は正式なコメントとして言及していないものの、実はこのHMDは、Googleが先日公開したXR向けプラットフォーム「Android XR」も活用している。先日Android XRが発表された際、対応企業名の中にソニーが含まれていたのはそうした事情に基づく。 このニュースを聞くと、次のように考える人も多いはずだ。 「なるほど! ソニーはXYNというブランドでAndroid XRのHMDを発売するのか。で、それはいつ、いくらぐらいで販売されて、どのくらいの量売るつもりなのか?」 ただ、説明を聞くと、どうも「そういう話ではない」のが見えてくる。ソニーはXYNブランドの中でHMDを作るものの、PlayStation VRやMeta Quest、Apple Vision Pro、もしくはサムスンが発売を予定しているAndroid XR搭載HMDのような「HMDをコンシューマにハードとして売って収益を得るビジネス」を軸に考えているわけではない、ようなのだ。 鈴木氏は次のように解説する。 鈴木氏(以下敬称略):ソニーは過去、ハードを中心にビジネスをしてきました。ソフトももちろん重要だったわけですが、ソフトはハードの一部であり、特定のハードでしか使えない……という考え方でした。 ですが、XYNはそういう話ではないです。 コンテンツ制作のソフト・ソリューションを提供しますが、それらは独立して使えます。ソニーのハードウエアと組み合わせると便利ではありますが、必須ではありません。 ヘッドセット(HMD)にしても、OpenXR対応で他社の技術とも組み合わせられます。重要な点はあくまで、クリエイターの方々が普段お使いのツールや技術をそのまま活用できることです。 冒頭で解説したように、XYNは「コンテンツ制作」のソリューションだ。 3D CGやXRコンテンツの制作では、XR空間の中で実際にどう見えるか、HMDをかけて「確認する」「XR空間内で直接編集する」ことは多い。SRH-S1も、企業内で「XR内で作業する」用途を考えて作られたものだった。 一般的なHMDとB2B向けでは、使われ方に大きな違いがある。本誌で扱うことも多い個人向けHMDでは「HMD自体でアプリを動かす」ことが重要だが、B2B向けではツールとして使うので「PCに接続して、PC上の複数のツールを使う」ことが多い。 XYNバージョンのHMDにしても同様だ。3D空間の中を動いたり、3Dモデルをチェックしたりするアプリが用意されているものの、それも「PC上の1つのアプリ」である。現状はデモとして公開されたものなので、その出来でHMDの価値を計るべき性質のものではない。 また、XYNバージョンはハードウエアの構成こそ昨年発表されたSRH-S1に似通っているものの、イコールではない。 SRH-S1はシーメンスをパートナーとして提供されるソリューションだ。それに対してXYNバージョンはパートナーを限定しない。 鈴木:HMDについては、個人向け以外の市場として、すでにB2B向けに多くの需要があります。SRH-S1発表後、多くのSIerの方々から「自社のソリューションと組み合わせて提供したい」というお声をいただきました。ですので、2号機(XYNバージョン)については、多数のSIerさんとも組んで販売していきます。 もうすでに多くのエンターテインメント関連の方々にテストしていただいていますが、その要望は、いわゆる「産業用」とは異なります。 エンターテインメント関連のクリエイターというのは、解像度だけでなく「画質に関しても問いたい顧客」です。 エンタメコンテンツはすでに市場にあるHMDを使って開発されています。たとえばプリビズに現状のHMDでは、解像度にも色にも制限があります。しかし、HMDが4K解像度+マスモニ画質になったら? SRH-S1は今月から本格的に出荷されていきますが、産業用途ということもあり、喜ばれたのは解像度に加えて「フリップアップして前が見られる」ことだったくらいです。 (XYNバージョンは)デバイスは同じであっても、パネルドライバーのいじり方含め、狙っていくものが異なります。 現状、どのHMDを使っていても、ビデオシースルーのMR(Mixed Reality)とはいえ、周囲の見え方と仮想空間の物体は、輝度などが微妙に異なります。 しかしあくまでR&Dレベルではありますが、「ビデオシースルーの見え方と、仮想空間に表示された物体がまったく同じように見える」ようにすることも目指しています。どうやれば異なる世界にあるソースの輝度やコントラストを合わせられるか、検討を進めているところです。 ■ モーションや3Dモデル作成「ソリューション」を展開 XYNでは、HMDを使った「空間の確認」「空間での作業」以外にも複数の機能が提供される。 例えば「動き」。 ソニーは個人向けにコンパクトなモーションキャプチャ技術である「mocopi」を展開しているが、XYNブランドでは、個人向けには6つだったセンサーを12に増やし、PCと接続してより本格的なモーションキャプチャができる「プロフェッショナルモード」を展開する。 さらに、新たに開発した「XYN Motion Studio」を組み合わせる。 こちらでは基本的なモーションデータのライブラリがクラウドから提供され、mocopiのデータと組み合わせて本格的なモーションを作成可能になる。「踊る」「手振り」といったところはmocopiでカバーしつつ、「全力で走って跳び蹴りする」モーションはライブラリーから取得して組み合わせて全体を作る……といったことが可能になるわけだ。しかも、サービス料金は「月額1,100円」とかなり安価だ。 「XYN空間キャプチャーソリューション」では、スマホと一眼カメラの組み合わせなどを使い、風景や物体などの3Dデータ化を行なえる。 ただ、3Dキャプチャサービスは増えてきたし、スマホで動くソフトもいくつかある。その中でZYNの空間キャプチャ技術の特徴は、スマホと一眼カメラをセットにして使い、アプリ側で「どこからどこまで撮影したのか」を確認しつつ、一眼側でより精度の高い写真を撮影し、それらのデータをアップロードしてデータ化を行なう点だ。 CES会場でのデモではソニーのαが使われているが、αでなければ使えないわけではない。セットにするスマホもXperiaでなければ……という話ではなく、iPhoneでもAndroidスマホでもいい。 前出の「XYN Motion Studio」にしても、どのPCで動かすかは自由だし、データ形式は広く使われているものである。「組み合わせて3DやXR向けのコンテンツ制作に便利なシステムになっている」というのが、XYNの特徴だ。 ■ 「空間エンタメコンテンツを増やす」ためにバランスを重視 またもう1つの特徴は、「必ずしもハイエンド指向一辺倒ではない」という点にある。 前出の通り、HMDではかなり画質にこだわっている。一方で「モーションキャプチャ」にしろ「3Dキャプチャ」にしろ、信じられないほど高価なハードウエアを使って展開するわけではない。映画やAAAゲームでは巨大な「モーションキャプチャスタジオ」を用意して作業が行なわれるが、XYNはそれに比べれば低コストな仕組みが提示されている。 そうした部分のバランスはどういう状況にあるのか? まさに「品質」と「コスト」が重要なのだ。 鈴木:弊社には現状、空間エンターテインメント開発について、あらゆる企業からコンタクトがあります。 ただどの企業も、「空間エンターテインメントビジネスを加速したいが、そのためにはどんなコンテンツをどう作るべきか」ということについて悩んでいます。 市場を広げるには、いままでのエンターテインメント「ではない」、新しいものを作る必要があります。単なる代替では市場の大きさは変わらず、拡大しません。焼き直しではなく、新しいスタイルのものを作らねばなりません。 ただここで各社共通の悩みが、「PCやスマートフォンなどに比べ、端末が普及していない」ということ。そのことは必然なのですが、一方でクリエイティブコストと収益回収のバランスがとれない……という課題があります。 いわゆる2Dのコンテンツを作るのに比べ、3Dコンテンツ・空間エンターテインメントコンテンツを作るのはお金がかかる。画角の広さや奥行きがあることだけを考えても自明の話だ。ある世界を「没入できるくらい新たに作り込む」となると、すでに目の前にある現実世界を映像として撮影するのに比べれば、手間もコストも比べものにならない。しかも、どんなコンテンツを作るべきかどいう方法論すら定まっていない状況だ。 だからこそ制作環境を提供する場合には、コストと品質のバランスを重視し、安価に開発を進められるものにしなければならない……ということになるわけだ。 鈴木:巨大なキャプチャースタジオなどに比べ簡易であるのは事実です。しかし、色々な方々に実際に使っていただくと、「プリビズの段階では非常に有用である」「すぐに使える点が良い」という反応もいただいています。 重要なのは「品質が一定を超えている」ということです。「速い」ことと「安い」ことには大きな関連性があります。その上で一定の水準を超えた結果を得られることが重要であり、XYNが目指しているのはその領域です。 XYNは対象となるクリエイターや企業の規模を定めていない。個人レベルから大企業までがターゲットだ。その理由は、開発環境としてのコストパフォーマンスと小回りの良さを重視しているからであり、そのことは、空間エンターテインメント市場が黎明期であるから……という話につながるわけだ。 何度も述べてきたように、XYNというソリューションは、ハードとソフト(サービス)の組み合わせで成り立っており、双方に強い縛りがあるわけではない。同時に、HMDやmocopiのようなハードウエアも収益源である。空間再現ディスプレイである「ELF」シリーズなど、すでにソニーが展開済みの関連ビジネスもXYNに合流し、複合的な展開を目指していく。 ただ、その性質上、本質的にはソフト・サービスで収益を得るビジネスモデルだ。例えばモーションデータを扱う「XYN Motion Studio」にしても、モーションライブラリーを管理するクラウドやデータに関するサブスクがビジネスの柱だ。他の開発ツールにしても、「クリエイターが日常使っているツールに加え、XYNのものを組み合わせていくと開発が容易になる」という環境自体から収益を得ることが目的となる。 ただし、そこまではどうしても時間がかかることだろう。 鈴木:売上や利益という意味では「ハードウエアの方がすぐに立ち上がりやすい」というのは事実です。ですから当面、売上的にはハードウエアからのものが目立つことにはなるでしょう。 しかし、そこからソフト・サービスによる継続的な収益を目指していきます。3年・5年後……2030年頃を見越して、ビジネスの形を組み立てています。 HMDのようなハードを打ち出すことに比べ本質的には分かりづらく、派手ではないビジネスといえるかもしれない。実際、XYNについてはかなり誤解した報道も多いように思う。 しかしその本質を「放送や映画の世界でプロビジネスが進んだ道を、空間エンターテインメントで目指す」と読み替えれば、意外とシンプルな話なのである。
AV Watch,西田 宗千佳