『トップガン』が巨大なポップカルチャーになり得た理由 製作の紆余曲折とともに振り返る
80年代アクション映画の雛形にもなった、トニー・スコットのPV的映像感覚
にわかに信じ難いことだが、当初『トップガン』の監督を務める予定だったのはデヴィッド・クローネンバーグだった。『ビデオドローム』や『ザ・フライ』で知られるカナダの鬼才。まるで臨床検査技師のような手つきで、倒錯的なオブセッションを描いてきたこの暗黒系フィルムメーカーに、この題材はミスマッチすぎる。本人も「確かに私は機械が好きだし、車も飛行機も好きだ。だけど、私が監督したいと思うような作品ではなかった」と述懐しているくらいだから、その自覚はあったのだろう。クローネンバーグは謹んでこのオファーを辞退する。 さらに信じ難いことだが、あのジョン・カーペンターも監督候補に名前も挙がっていた。『ニューヨーク1997』や『遊星からの物体X』で知られるマスター・オブ・ホラー。低予算のカルト的傑作を次々に放ってきた彼に、『トップガン』はあまりに不釣り合いだ。彼もまた、謹んでこのオファーを辞退する。さっきから誰も彼も断りっ放しだが、パラマウントの重役デビッド・カークパトリック曰く、「『トップガン』についてトニーと会ったのは、すでに35人の監督がこのプロジェクトを断った後だった」という。フラれ続けた末に行き着いたのが、トニー・スコットだったのだ。 兄リドリーはすでに『エイリアン』や『ブレードランナー』で名声を博していたが、トニーは1983年に『ハンガー』を発表したばかり。その評価も決して芳しいものではなかった。ある意味で『トップガン』との出会いが、80年代、90年代、そしてゼロ年代と、猛烈な勢いでハリウッドを疾走し続けるターニングポイントになったといえる。 せわしなく動き続けるカメラ、細かなカット割り、大仰な演出。そのPV的映像感覚は、80年代アクション映画の雛形ともなった。何よりもトニー・スコットはビジュアルの強度で、観る者を圧倒する。そしてその表現手法は、『トップガン』にもう一つの作用を生み出している。 映画が公開された1986年は、ロナルド・レーガン大統領の2期目。ソ連との冷戦が激化し、愛国心がもてはやされた時代だった。そのような時代背景もあってか、この映画はあまりにも国粋主義的すぎるとの批判も受けた。本編に登場する敵が何者かは周到に隠されてはいるのだが(そのスタンスは続編の『トップガン マーヴェリック』でも受け継がれている)、改めて見直すと非常に好戦的な内容なのである。 だがトニー・スコットの過剰な映像表現によって、その政治性は漂白されている。いい意味でも悪い意味でも、明快な娯楽性がすべてを上書きしてしまう。だからこそ『トップガン』は、巨大なポップカルチャーとなりえたのだ。あらゆる意味で、この映画は80年代的。公開から38年が経ったいま、『トップガン』を見返すことには非常に意義があるはずだ。 参考 https://screenrant.com/top-gun-director-david-cronenberg-almost/ https://screenrant.com/top-gun-original-ending-john-carpenter/ https://ew.com/article/2016/05/10/top-gun-30th-anniversary-tom-cruise-maverick/ https://aframe.oscars.org/news/post/remembering-top-gun-director-tony-scotts-daring-career https://www.washingtonpost.com/history/2022/05/27/top-gun-maverick-us-military/
竹島ルイ