「忠臣蔵」も生まれた芝居の街・道頓堀 うどんの名店は素人だったから“おいしいダシ”が生まれた【大東駿介の発見!てくてく学】
俳優の大東駿介さんが、関西の街を歩きながら魅力を学ぶ「発見!てくてく学」。 前回に続き、大阪・ミナミの「道頓堀」を巡ります。 ■【動画】【大東駿介てくてく学】「忠臣蔵」も生まれた芝居の街・道頓堀 うどんの名店は素人だったから“おいしいダシ”が生まれた
■道頓堀から世界へ 芝居の街で生まれた「回り舞台」
道頓堀川沿いの建物をよく見ると、向かいのお店に比べて細長い造りになっていることが分かります。これについて、道頓堀の歴史に詳しい山根秀宣さんに教えてもらいました。 【道頓堀ミュージアム並木座 山根秀宣さん】「このあたり(川沿いの建物の向かい側)が芝居小屋だったのは知っていましたか?」 江戸時代の道頓堀は「芝居の街」として栄え、「道頓堀五座」と呼ばれる大きな5つの劇場がありました。細長い建物は、劇場の観客にチケットや弁当を販売する「芝居茶屋」でした。 また、道頓堀の名物になっている“立体看板”ですが、芝居の街だった江戸時代から、芝居のワンシーンを立体看板で再現してお客さんを呼び込んでいたのだそうです。 「道頓堀ミュージアム並木座」で、当時の様子が描かれた絵を見ると、芝居のワンシーンを表現する人形が設置され、通りに突き出した立体看板があったことが分かります。 さらに、かつて近松門左衛門が座付き作者として活躍した「竹本座」で、「忠臣蔵」や「義経千本桜」などの名作が誕生したといいます。 そんな道頓堀から生まれ、今も多くの劇場で使われているのが、舞台を回転させて場面転換する「回り舞台」。歌舞伎は一時期人形浄瑠璃の人気に押されて苦境にありましたが、歌舞伎作者の並木正三が、回り舞台で演出を工夫し、面白みを足したのだそうです。今では世界のオペラやミュージカルでも回り舞台が使われています。
■名店「うどんの今井」意外な歴史
グルメのお店が多い道頓堀でも指折りの名店として知られる「うどんの今井」は、もともとは芝居茶屋でした。7代目の今井徹さんによると、大正5年に芝居茶屋が廃業し、音楽好きだった今井さんの祖父が楽器店を始めました。「大阪イチの楽器店」と評判でしたが、大阪大空襲で店は全焼。その後「食べるもんでも売ろか…」となり、昭和21年に「うどんの今井」が誕生しました。 今井さんの祖母が、ノウハウのない中で「うまいもん作りたい」と試行錯誤し、一般的なうどんの出汁より多くの昆布を使いました。料理の修行経験がなかったからこそ、名店の味が生まれたのです。 名物のきつねうどんをいただいて、「うまいわ。やさしい味」と大東さん。自然と笑顔がこぼれました。 (関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」 2024年11月21日 木曜日放送)