「目が見えなくなってもいいから走る」 難病で3年前に全盲に… 57歳ランナーがパリ・パラリンピック出場かけて挑戦 伴走者は憧れの福士加代子選手
感情を素直に表現する走りを見せていた福士さん。近藤さんは目が見えていた頃から、その姿が憧れだったのです。 【近藤寛子さん】「目が見えない私たちっていうのは、声だけで印象を感じ取るので、やっぱり笑顔あふれる方っていうのは、自分自身をありのままに表現されているなぁというところにすごく魅力を感じたし、私自身もありのままの自分を表現しながら走ることができるんじゃないかなって」 【福士加代子さん】「挑戦している彼女の姿はすごく元気になりますし、その近くでいられるっていうのはありがたいなと思うので」
■何度も困難乗り越え…「見えなくなってもいいから走り続ける」
3人の子供を育ててきた近藤さんは、これまでに何度も困難が訪れましたが、そのたびに立ち上がってきました。 リオパラリンピックの2年前、一緒にリオに行こうと約束していた最愛の夫を病気で失ってしまいます。 走れなくなった時期もありました。それでも悲しみを乗り越え、約束の地で5位入賞を果たします。 その後、東京パラリンピックを目指す中で乳がんの手術を受け、卵巣も摘出しました。 それも乗り越え、自己ベストを更新し続けた近藤さん。 一方で2021年、目は完全に見えなくなり、最も障害の重い、全盲のクラスに振り分けられることになりました。 【近藤寛子さん】「過酷な全身運動は病気を進行させるということで、お医者さんからは『(マラソンを)やめた方が視力はずっと残せるよ』とは言われていたんですけど、私の中で走るということを取ることはできなくて、『もう目が見えなくなってもいいから走り続ける』って」
子どもたちは、母の強さをそばでずっと見てきました。 【近藤さんの長女】「普通のお母さんというか、普通のお母さんよりもすごい、むしろ」 【近藤寛子さん】「うれしいなあ」 【近藤さんの長女】「休むと逆にイライラしてあかんから、走らせた方がいい」
■最終選考へ 57歳の挑戦の行方は
最終選考レース1週間前。 57歳となった近藤さんにとって、パラリンピックへの挑戦は最後になるかもしれません。 スケジュールが合わず、代表の最終選考レースでは伴走できない福士さんも、ずっとサポートを続けてくれていました。 だからこそ、福士さんとパリで走りたい。近藤さんが自分自身に誓った約束でした。 パリパラリンピックの代表をかけた最終選考レース。代表権を獲得するには、「3時間15分30秒」を切ることが最低条件です。 近藤さんには、福士さんからかけられた、忘れられない言葉がありました。 【近藤寛子さん】「走りながら、『イメージの先は見えてるよ』って言ってくださったことがあって。どんな時もイメージをして、その先の自分のイメージを持つということは、すごく私の中で落ちるものがあって」
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