リーゼント和気は“顔面崩壊”で11回TKO負け!
プロ10年目にしての世界初挑戦だった。終わった話をくどくどとは書かないが、2年前の大晦日にオファーのあったリゴンドー戦を蹴り、レオ・サンタクルスとのビッグマッチも流れ、“世界一運のない男”と呼ばれた和気は、本来、やるべきであった世界戦のタイミングをことごとく逃してきた。もし一度でも世界戦リングを経験していれば、序盤でグスマンにあそこまで一方的にペースを握られることはなかっただろう。 両者の真の実力を考えれば、協栄の金平会長が尽力して実現した王座決定戦は、マッチメークとしては、十分にチャンスのあるものだったのだ。 古口会長は、こんな話をした。 「彼がインターハイの一回戦で負けたとき、そのあまりに悔しそうな姿を見て、こいつはものになる!と思ってプロにならないか、と声をかけた。奴のボクシング人生は負けた悔しさから始まっているんだよ。負けたけれど、自信にはなったと思う。序盤に堅くならねば勝てた。もし、もう一度、チャンスがもらえるなら、ぜひやらせたいし、やってみたい」 岡山でワルの限りを尽くして中学時代に鑑別所にも入った。「喧嘩に強くなりたい」の一心で、アマチュアでボクシングを始めたが、古口会長に声をかけられ、プロの道へと進んだ。 リゴンドー問題で和気が失踪事件を起こしたとき、古口会長が和気に引退勧告を突きつけた現場に、たまたま居合わせたことがある。そのとき和気は「ボクシングは僕の人生そのもの」と強い意志を示した。 その頃から和気の相談を受けていた鶴太郎氏も「まずは体のこと。もしかしたら眼底骨折をやっているかもしれない。でも、彼がやる気なら、私もまたセコンドにつかせてもらいます」とエールを送る。 グスマンの初防衛戦の相手は内定しているが、幸いにしてプロモーターは、「和気の勇気には感銘した。日本のスタッフにも親切にしてもらった。大晦日に日本では毎年大きな試合をするというじゃないか。再戦を希望するなら喜んで受けたい」と、和気が再戦を望めば受けて立つ考えを明らかにした。 リーゼントはしおれても、あのとき見せた強い意思は、健在のはずである。世界のベルト獲得を見果てぬ夢のまま終わらせるわけにはいかないだろう。