【第2回】始皇帝陵 兵馬俑が守ろうとした「世界」とは?
第1回「兵馬俑にみる驚異の写実性」では、実在した軍団の兵士を1体ずつ陶製の像に写したと考えられる兵馬俑が、服のしわや髪の毛といった細部まで入念に作りこまれているだけでなく、もともと多彩な色を塗り分けた状態で兵馬俑坑のなかに配置され、武器の実物を手にしていたことを紹介しました。造形・装飾・装備にまで及ぶその写実表現は、ギリシャやローマの彫刻のように芸術として追求されたのではなく、写実そのものを目的としたとしか理解できないような緊張感が漂います。 今回は、兵馬俑坑を含む巨大な遺跡「始皇帝陵」全体のなかで、兵馬俑がどのように位置づけられるのかという問題に迫ります。
配置にまでおよぶ兵馬俑の写実性
兵馬俑を出土した兵馬俑坑は、これまで1号から3号まで合計3基が見つかっています。なかでも1号兵馬俑坑は東西230メートル、南北62メートルと破格の規模をもつ長方形の竪穴です。ここで合計8,000体と推算される兵馬俑のうち、約6,000体が整然と隊列を組んだ状態で発見されました。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」で展示している兵馬俑のなかには、この1号兵馬俑坑のどこで出土したものなのかが知られているものも含まれています。 たとえば、鎧を着けていない軽装備の歩兵俑は、1号兵馬俑坑の前方に配置されていました。この俑に限らず、前衛部隊はほとんどがこの種の鎧のない軽装歩兵俑で固められています。
前衛部隊の後ろには、戦闘の指揮をとる馬車が続きます。車両そのものは木製のため、2000年以上も土中に埋もれていたあいだに朽ちてなくなっていますが、車両を引く馬が陶製の俑に写されて残っていたので、その存在を知ることができます。もともと車両があった場所の近くからは、馬車を操る御者俑とともに、指揮官である将軍俑か軍吏俑などが出土しました。戦闘指揮車の後ろには、重厚な鎧で身を固め、槍や矛など長い柄の武器を手にした重装歩兵俑の部隊が控えています。 戦端が開かれたら、鎧を着ていない身軽な軽装歩兵部隊がまっさきに展開して敵に矢を射かけ、指揮車が率いる鎧を着た重装歩兵部隊が敵陣めがけて突入する。兵馬俑は、いくつもの種類の俑をやみくもに並べたのではなく、臨戦時の陣形に従って、役割に応じた適切な場所に並べています。兵馬俑1体ずつの造形・装飾・装備にそれぞれ意味があるように、兵馬俑全体の配置にも写実性が貫徹されていたのです。