「肌の色による壁は私自身が作っていた」...退屈な会議から「TEDxの舞台」へ、殻を破りアメリカンドリームを突き進む
人に言われて初めて「私はアジア系だ」と気づいたクリストファー・チン。音楽家を目指した彼が辿り着いたのは「データを音楽的に伝える方法」だった
自分がアジア系であることに気付いた瞬間を覚えている。 学校の校庭で友人と遊んでいると、誰かが「白人の男の子」と遊んでいるんだねと私に言った。友人とはいつも楽しく遊んでいたのだが、その言葉を聞いた後に鏡を見たら、私の顔は友人と違っていた。 【動画】TEDxで音楽について語るクリストファー・チン 私はニューヨークのクイーンズ区で、アジア系に囲まれて育った。民族的に私たちは多数派だった。私は何の心配もなく暮らし、映画音楽の作曲家になるというアメリカンドリームを描いていた。 ほかの子供たちと同じく、私は『スター・ウォーズ』や『ライオン・キング』『スパイダーマン』のような映画に夢中になっていた。しかし私にとってこれらの映画の最大の魅力は、ほかの子供たちが好きな目まぐるしいアクションではなく、音楽だった。 自分で作曲を始め、大学では短編映画の音楽を作った。映画音楽の授業を受講し、アメリカンドリームがゆっくりと形になるのを感じていた。 しかし、鏡を見て気付いた。私はアジア系だった。そして、『スター・ウォーズ』や『ライオン・キング』『スパイダーマン』の作曲家たちのように白人ではなかった。 作曲の仕事にはありつけず、それは私が「仲間」ではないからだと思った。食べていくためにテック業界に入り、楽器に触れることはなくなった。 コロナ禍のさなかに、リモートの会議があった。退屈なデータが退屈な方法で示された。自室の退屈な椅子で私は思った。「残りの人生をこうやって過ごすのか?」 もう一度クリエーティブにやりたい。そうしないと人生最後の記憶が、退屈なパワーポイントのプレゼンテーションになってしまう。 個人ブランドの構築を始めた。複雑なデータや情報分析から得られた結果を、説得力あるストーリーとして分かりやすく伝える「データストーリーテリング」についてSNSに投稿すると、フォロワーが驚くほど増えた。動画コンテンツを作り、YouTubeチャンネルを立ち上げた。