日本人が意外と知らない、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と呼ばれている「驚きの真実」
神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 【写真】「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と呼んでいる「驚きの背景」 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
休日も天皇一色に
すべてを天皇の色で染め上げよ。そんな明治の日本改造計画は、休日にも及んだ。 そもそも江戸時代までは、中国由来の五節句が式日(儀式を行う日)として重んじられていた。明治政府もはじめこれをほぼ踏襲し、1870(明治3)年4月、つぎのように休日を定めた。 大正月(1月1日) 小正月(1月15日) 3月3日(上巳の節句) 5月5日(端午の節句) 7月7日(七夕の節句) 7月15日(中元、お盆) 8月朔日(八朔田実(はっさくたのむ)の節句) 9月9日(重陽の節句) 9月22日(天長節) 雛祭りの3月3日や、鯉のぼりの5月5日などが、正式な休みだったわけだ。七夕や中元などは、あらためて説明はいらないだろう。八朔は稲の実りを祝う日。このなかで明治政府らしいのは、明治天皇の誕生日である天長節ぐらいである。 ところが、これらの休日はすぐに廃止され、1873(明治6)年、天皇中心の国家にふさわしい休日があらためて定められた。 元始祭(1月3日) 新年宴会(1月5日) 孝明天皇祭(1月30日) 紀元節(2月11日) 神武天皇祭(4月3日) 神嘗(かんなめ)祭(9月17日) 天長節(11月3日) 新嘗(にいなめ)祭(11月23日) 驚くべきビフォーアフター。江戸時代の名残が跡形もなく消し去られていることがわかる。 1878(明治11)年、ここに春季皇霊祭(3月春分の日)と秋季皇霊祭(9月秋分の日)が加わり、翌年、神嘗祭が10月17日に移動して、明治年間の休日が定まった。なお、新年節(1月1日)は慣例により休日扱いだった。 このうち、新年節、紀元節、天長節、新年宴会は祝日とされ、新年宴会を除く3つは3大節と総称された。そして残りの7つは宮中祭祀に関係する祭日とされ、7祭日と総称された(3大節7祭日)。 現在でも休日のことを祝祭日という年配のひとがいるが、その名称はこれに由来する。とにもかくにも、江戸時代と異なり、天皇なしでは考えられない休日の並びとなったのである。