日本人が意外と知らない、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と呼ばれている「驚きの真実」
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」
こういう経緯で定められた祝祭日は、大東亜戦争の敗戦後、国民主権や政教分離に反しかねないので廃止された。ただしその多くは、1948(昭和23)年7月の祝日法で「国民の祝日」に引き継がれた。 すなわち、春季皇霊祭が春分の日に、秋季皇霊祭が秋分の日に、天長節が天皇誕生日に、新嘗祭が勤労感謝の日に、明治節(昭和に明治天皇の誕生日を明治節とした)が文化の日に、それぞれ衣替えした。 そのなかで紛糾したのが、神武天皇即位日にもとづく紀元節だった。日本側はこれまでどおり休日にしようとした。ところが、GHQより拒絶されたため、戦後しばらく2月11日は平日だった。 それがふたたび休日になったのが、1966(昭和41)年6月のこと。長年、紀元節の復活に取り組んできた自民党の主導で祝日法が改正されて、ようやく建国記念の日が定められたのである。 ただし、野党などに強硬な反対意見があったため、紀元節の復活とはうたわず、名目も「建国をしのび、国を愛する心を養う」日と曖昧に規定された。2月11日という日付も政令で別途定められた。建国記念日ではなく建国記念の日なのは、複雑な歴史的背景の痕跡なのだ。 とはいえ、結局月日はまったく同じなのだから、現在のわれわれの休日にも明治維新の影響がかなり及んでいることになる。 さらに連載記事<戦前の日本は「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
辻田 真佐憲(文筆家・近現代史研究者)