尾崎豊を「叱りつけた」男 川添象郎さんと“10代の教祖”との叶わなかった約束
二次会後の悲劇
川添さんが総合プロデュースを行った後楽園のビアガーデンは、1992年4月24日にスタートした。オープニングには尾崎さんも会場に駆けつけ、川添さんに挨拶したという。 「彼は礼儀が良かった。今振り返っても素晴らしい青年でしたよ」 尾崎さんは、その夜に芝浦の「O'BAR」 で開かれた二次会にも現れ、盛り上がっていたそうだ。その直後に、まさか彼が悲劇に見舞われるとはが訪れるとは、誰が想像しただろうか。翌25日の早朝、東京・足立区の民家の軒先で、泥酔し倒れている尾崎さんが発見された。 搬送先の病院で検査を受け、命には別状なしと診断された尾崎さんは、一旦帰宅した。ところが2時間後に急に苦しみだし、再び救急搬送されたが、すでに呼吸は停止していた。死因は肺に水が溜まったことによる呼吸困難――肺水腫と診断された。 プロデュースとマネジメントを約束しておきながら叶わなかったことについて、川添さんは「彼は、素晴らしい才能の持ち主だった。そういった意味で、尾崎君の頼みを叶えてやれなかったのは今でも心残りです」と語った。
閉塞感漂う「時代の変化」
その尾崎さんも亡くなって32年という歳月が経つ。昭和から平成、そして令和を迎え、語られる機会は少なくなった感もある「時代の流れ」というだけではなく、閉塞感の漂う「時代の変化」が、要因のひとつにあるような気がする。 以下は余談かもしれないが……平成も終わりの頃、尾崎さんの代表曲のひとつ「15の夜」の詞を問題だとする声が出たことがあった。同曲のカバーを使用していたファッションブランド「GU」のテレビCMに対し、「子供たちの“犯罪の助長”につながるのではないか」との苦情が放送倫理・番組向上機構(BPO)寄せられたのだ。 ようは「盗んだバイクで走り出す」という歌詞が「いかがなものか」というわけである。 他にも「卒業」の「夜の校舎/窓ガラス壊してまわった」も「事実なら大問題」と指摘する意見があった。 そして今回の訃報である。川添さんが亡くなったことで、ひとつの時代の終焉を感じてならない。 渡邉裕二(わたなべ・ゆうじ) 芸能ジャーナリスト デイリー新潮編集部
新潮社