ヒット番組裏話も!苦悩の上京物語:放送作家・西田哲也物語#2
大阪で放送作家としてデビューし、現在は「ありえへん∞世界」「じっくり聞いタロウ」「ナゼそこ?」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」を筆頭に、6番組を担当している放送作家・西田哲也。 【動画】俳優が貧乏時代の体験を激白!プールの時間はパンツで参加?3畳の物置で生活も! 一方でシンガーソングライターとしての顔も持ち、独特なメロディラインを放つ「花電車」や、男の哀愁を曲にのせた「ブルジョア列車」「夜の散歩」は、一部のメディアで話題に。 3月24日(日)には、THE FIRST LIVE「もったいないやん」(六本木BAUHAUS:開場16時半 開演17時)を開催する。 「テレ東プラス人生劇場」では、全4回にわたり、短期連載「放送作家・西田哲也物語」をお届け! 前回は関西ローカル時代の話を聞いたが、第2弾となる今回は、西田の苦悩の上京物語を紹介する。 大学時代は、芸人、歌手、小説家、映画監督を目指し、あらゆるコンテストに応募してみたものの、夢叶わず、大阪の制作会社に入社。作家の卵として修業を積み、24~25歳の時には、「ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW」「紳助の人間マンダラ」「たかじんONEMAN」など、レギュラー番組が8本に。 そんな中、ライバル作家たちが東京進出したことに刺激を受け、西田は大阪のレギュラー番組を全部辞めて上京する。だがそこには、大きな試練が待ち受けていた…。
転機は「ガキ使」。変身ベルトを持たせてもらったような感覚だった
――前回の記事でも書きましたが、西田さんは大阪で成功していたにも関わらず、27歳の頃、東京へ進出します。ただそこでは今一歩踏み切れず、大阪での新番組を1本残して上京。そこにはどんな思いがあったのでしょう。 「今思ったら、無意識に“戻るための逃げ道”を一本残していたのかもしれません。東京進出して無職になる怖さ…なのでその新番組を1本残して、上京したんだと思います。 でも、そんな中途半端な気持ちで上京していきなり仕事が増えるわけがない。当時は世田谷の野沢に住んでいましたが、交通費が出る新番組のために週1回大阪に帰ります。そうしているうちに大阪のスタッフの皆さんが、“あれ? まだ西田おるやん!”となってくれるわけですよ。 『実はこんな番組が始まってね…』と頼まれていくうちに、また大阪での仕事が4本まで増えました(笑)。いわゆる東京に住んでるけど関西の仕事をしてるだけの男、遠距離通勤者と何ら変わらないじゃないかと。“いったい俺は何してんねやろう…”という悶々とした日々を2年間過ごしました。 それが27~29歳くらいの話。そんなことしてるもんだから、東京のツテなんか何も増えないんですよ。でも当時は僕と同じような感じで、東京に住んでるだけの大阪吉本の芸人さんもいっぱいいたと思う。名ばかりの東京進出(笑)」 ――「じっくり聞いタロウ」恒例の質問ですけど、大阪時代のMAX月収はいくらだったんですか?(笑) 「ホント、みんなお金の話が好きですよね、俺も含めて(笑)。24歳の時、すでに月収100万円いきました。制作会社を辞めて3カ月後にはいったかな? でもそれは、月8本レギュラー番組を抱え、寝ずに働くという世界でしたから。今はもうできませんよ」