夢舞台まで119年 富岡西、先輩の思い /徳島
<センバツ2019> 第91回選抜高校野球大会に21世紀枠で出場する富岡西は、1900年の創部から少しずつ歩を進め、119年を経てようやく甲子園にたどり着いた。その道のりには、悲願まで手が届きかけてつかめなかった悔し涙や、グラウンドで流した汗、努力を重ねた先輩たちの思いが詰まっている。【岩本桜】 ◇51年夏、涙の準決勝敗退 長尾昌明さん(85)=阿南市=が投手としてチームを率いた1951年は、夏の徳島大会で初めて準決勝に進んだ。「基本を大事にしない野球はない」という教えから、練習の大半が走り込みなどの基本練習に費やされた。指導は厳しかったが「打倒徳島商、鳴門」を掲げて練習に打ち込んだ。準決勝はOBなど100人以上が応援に駆けつけ、周囲の期待は高まった。長尾さんはマウンドを託されたが、城北に1-14で大敗。「試合後は『野球なんか見たくない』と思うくらい悔しかった」と振り返る。 今年の1月25日、母校の校長室で手に汗を握りながら朗報を待った。センバツ出場が決まり、「とてもうれしく、思わず涙がこぼれた」。センバツはテレビで選手を見守るつもりだ。「甲子園ではとにかく楽しんでプレーしてほしい」と思いを託す。 ◇91年春、強豪降し県初V 長尾さんがグラウンドを後にして40年たった1991年、春の県大会で池田や徳島商を降し、初優勝を果たした。当時監督だった出原正人さん(58)=徳島市=によると、近隣チームのレベルが高かったことがチームを成長させたという。同年に小松島西(小松島市)がセンバツ出場を果たし、翌年は新野(阿南市)が出場。富岡西は両チームと練習試合などで戦うことも多く、結果は五分五分だったという。「身近なチームが甲子園に行ったことで『次は自分たちが』と闘志を燃やすきっかけになった」。期待された夏の徳島大会は2回戦で小松島西に敗退したが、ライバルとしのぎを削った経験がチームに刺激を与え、県大会初優勝へとつながった。 出原さんは「センバツで浮橋幸太投手は特にマークされると思うので、他の選手がいかに活躍できるかが鍵」と期待を込める。また、これまで大会に出場した城南や川島を挙げ、「徳島からは21世紀枠で出て好成績を残してきたチームがいくつもある。周りの情報に惑わされず、富岡西らしい野球を貫いてほしい」と力強く話した。