「死産でも…お腹の中にいた最後の4日間は幸せでした」間下このみ 泣かない子どもを出産し、わが子と火葬場へ向かった日
その後、死産用の陣痛促進剤を打ち、39度の高熱を出しながらひと晩かけて出産しました。 ── お子さんとは対面されたのでしょうか? 間下さん:最初は亡くなったわが子を見るかどうかすごく迷ったんですよ。どんな形をしているのか。どんな顔なのか見るのが怖かったですし。でもやっぱり出産した後は顔が見たくなって病室で会わせてもらいました。280グラムの男の子でしたが、すでに人の形をしていて手足もわかる。足の形は主人に似ているなと思ったし、涙でどうなるかと心配でしたが、意外と私も主人も笑顔で子どもと対面することができました。
ただ、次につらかったのが子どもを火葬場に連れて行くときですね。出産から2日後くらいにはわが子を小さい箱に入れて火葬場に連れて行くことになったんです。そのときの気持ちはいま思い出してもなんとも言えない…。まさか自分の子どもをこうした形で見送るなんて想像もしていなかった。生かせてあげられなくてごめんねと、いまでも思います。
■ホームページで抗リン脂質抗体症候群を公表し ── その後は家で塞ぎ込む日々が続いたそうですね。
間下さん:1か月くらい家に閉じこもりましたね。なんで私だけこう言う目にあわないといけないんだって正直思いましたし、何もする気になれなかったです。でも、しばらくすると、勇気を出してインターネットで「死産」と検索してみたんです。世の中にはたくさん死産を経験した人もいることも知ったし、私だけじゃないんだ、とも思いました。 時間と共に少しずつ日常を取り戻していきながら気持ちが落ち着いてきたころ、新たな命を授かりたいと思ったときに、再び妊娠したことがわかりました。そのため、死産のときにお世話になった大学病院に伺うことにしました。
── 前回の状況がわかっている病院で。 間下さん:はい。先生は前回のこともあるので、通常は妊娠でそこまで検査しないと思いますが、。万全を期して血液検査もさせてほしいと。その検査で、私が「抗リン脂質抗体症候群」だということがわかりました。自己免疫疾患のひとつと言われ、全身の血が固まりやすく、妊娠中は胎盤の血管にも血栓ができて胎児に血液が供給されなくなり、流産・死産になるケースもある。不育症の原因のひとつだと聞きました。