R-1優勝・街裏ぴんく、独自のアンチ対処法を明かす
コワモテフェイスとピンクのスーツでうさんくささを漂わせつつ、ネタが始まるとウソしかつかない「架空漫談」で観客を惹(ひ)き込む、『R―1グランプリ2024』の王者・街裏ぴんくさん。ここにいたるまでの20年あまり、なにがあっても、お笑いのことだけを考えてきた。ついに実を結んだ、街裏さんのTHE CHANGEとは。【第3回/全5回】 ■【画像】これが本当の顔面蒼白……! 顔が青すぎる街裏ぴんく 「ホイップクリームが流れる滝があって……」「モーニング娘。の初期メンバーとしてデビューする予定で……」などなど、日常からの不条理なズレで観客をどんどん引き込む漫談で、『R―1グランプリ2024』(フジテレビ系)王者に輝いた街裏ぴんくさん。その芸は「ファンタジー漫談」「架空漫談」「ホラ漫談」などと表されているが、確立したのは2015年ごろのこと。それ以前は、さまざまな漫談の方向性を探り続けていた。 「19歳から3年間はコンビを組んでいて、そのときも架空ネタをやってはいたんです。僕も相方もコワモテで、“キティちゃんのきせかえ人形を買った”“2人で『あいのり』(フジテレビ系)に出た”みたいなやつ。架空のことを喋(しゃべ)りでやっていくのが好きになったのは、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)の『はがきトーク』のコーナーがきっかけです」 同コーナーは、視聴者からの投稿ハガキを元に、ダウンタウンの松本人志さんが虚実入り乱れるトークを展開していくというもの。ほかには、中田ダイマル・ラケットにも憧れを抱いていた。 「おふたりもファンタジー漫才をやられていて。ダイマル・ラケット師匠のネタを全部書き起こして、漫才の練習をしていたこともありました」
人生でいちばんウケた「架空漫談」を自身の武器に
しかし、2012年に上京する前、大阪でピン芸人をしていたときに主軸にしていたのは、ぼやき漫談だった。 「ガラの悪い感じで、キレ芸をやっていたんですよ。人気アイドルに何の根拠もなく噛みついてキレる、みたいな。その時期、芸が人間を引っ張るというか、ずっと腹が立っていましたね」 ――私生活でもキレていたんですか。 「大阪の宗右衛門町の外れのところにあるポプラっていうコンビニで夜勤をやっていて、チンピラとかキャバ嬢とかホストとか、ほんま態度悪いからキレてたし、帰り道もずっとイライラしてて。そのイライラを全部ネタにぶつけていたんです。 自分から進んで腹の立つことを見つけに行こうとしていた。そのあと、2015年に架空漫談にしてから、日々のことに腹が立たなくなったんですよ。穏やかな気持ちですね。ある程度は芸が引っ張っているところはある気がしますね」 ――架空漫談を確立したきっかけは? 「2015年にAマッソ主催の『バスク』というライブで、"富山県にホイップクリームが流れる滝がある”という漫談をして、ほんまに芸人人生、大阪時代も含めていちばんウケたんです。それで架空漫談に一本化しました。浅草で修行して、漫談をうまく笑ってもらえる方法を身につけていったりしたこともよかったのかもしれません」