是枝裕和監督長編デビューの地…集団避難を乗り越えた83歳女性「ここにいられれば、これ以上望むことはない」【現地ルポ 能登半島地震まもなく1年】
【現地ルポ 能登半島地震まもなく1年】#4 かつての面影はもう残っていない。 能登半島のシンボルのひとつ、石川県輪島市の「輪島朝市」は、正月の地震で発生した火災で200棟以上が焼け、ほぼ全域にあたる約5万平方メートルが焼失。鎮火して2日後の1月8日、本紙記者が訪れた際には、まだ焦げ臭さが漂っていた。 【シリーズ初回はこちら】「この集落はなくなります」地震と豪雨で壊滅状態、80代元住民が嘆く厳しすぎる現状 それが先月28日に再訪すると、ほぼ全ての建物が解体、がれきは撤去され、「朝市」は東京ドーム1個分の更地に姿を変えていた。 地元住民は強い喪失感に襲われている。「朝市」に慣れ親しんだ坂下まさ子さん(83)は、こう話す。 「私も、海でとったサザエや畑で収穫した野菜を売りに行ってました。いろいろな人とワイワイ騒いで本当に楽しかった。私らみたいな年寄りからすれば、憩いの場所であり生きがいの場所やね。こうなってしまって本当に寂しい。年齢的に、元の朝市を見ることはないね。もう諦めています」 無念さを抱えつつも、坂下さんは故郷で生活し続けられることを喜ぶ。坂下さんが住む鵜入町(写真下)は、輪島市の中心地から西に6キロほどの位置にあり、漁港を前に20軒ほどの家屋が並ぶ小さな集落。是枝裕和監督の長編映画デビュー作「幻の光」のロケ地にもなった場所だ。 記者が訪れた冬の時季は晴れ間が少なく、鈍色の雲が空を覆い、激しい風が吹きつける。日本海らしい荒波が海岸に打ち付け、騒々しい波音が集落にとどろく。そんな鵜入での生活を、坂下さんはこう振り返る。 「ここで生まれ育ち、20歳の時に同じ集落で生まれ育った夫(久造さん=故人)と結婚。2人の子供に恵まれました。旦那は朝早く海に出て、サザエや海藻などをとってきてから、大工の仕事に行った。私も旦那も海が好きで、よく海に出た。どこかへ旅行に行くこともなかったけど、家族との一日一日が本当に楽しかった」
「ここにいられれば、これ以上望むこともないわ」
鵜入は正月の地震で一時、孤立状態となり、ヘリコプターでの集団避難を迫られた。 「金沢のもっと南、能美市の方まで避難しました。すぐ帰れるだろうと思っていたら、結局2カ月もかかった。一日でも早く鵜入に帰りたくて避難所では不安でした。3月に帰れることが決まり、内灘町を走るバスから久しぶりに海を見た時、本当にすっきりした。鵜入に戻ってこれるようになって本当にうれしかった。やっぱね、せわしねえ波の音が聞こえないと。朝、波の音で目が覚めて、外に出て、海の景色を見る。こんな良いところはない。ここにいられれば、これ以上望むこともないわ」 鵜入は電気や水道などの復旧が進み、今ではほとんどの住民が集落に戻ってきている。 能登半島には依然として故郷に帰れない人が多くいる。平穏な暮らしが一日でも早く戻るよう、国は復旧・復興を急がねばならない。(おわり) (取材・文=橋本悠太/日刊ゲンダイ)