【佐藤優氏×片山杜秀氏「昭和100年史」知の巨人対談】「昭和20年8月15日で歴史は一度閉じ、その後は進歩も退化もなく反復している」
佐藤:戦前の日本に国民の欲望レベルを下げるイデオロギーを唱える人物がいたら、皇道派的な道がありえたかもしれない。 この時期、左翼・マルクス主義者の間では、雑誌『労農』に集った向坂逸郎ら労農派と、『日本資本主義発達史講座』を編纂した野呂栄太郎ら講座派の論争が繰り広げられた。いわゆる日本資本主義論争だ。 これもやはり、グローバリゼーションと、日本独自の事情に根ざした理論との対立と見ることができる。グローバリゼーションを唱えたのは労農派だ。講座派は天皇の存在を意識して、資本主義の発達を日本独自の発展モデルに当てはめて考える。皇道経済に近い。 片山:そうですね。鍋山貞親は獄中で転向して(昭和8年)からは極端に皇道主義のほうに行ってしまいますが、もともと日本独自の事情を考察していた人だから、話はつながります。 佐藤:はい。彼の転向は内発的なものだし、そもそもの思想が、皇道主義的なものとの親和性が高い。逆に言えば、労農派の向坂とか山川均のように、非転向を貫いた人々は本当にグローバリゼーションに染まっていて、日本の特殊性や天皇の持つ意味が、皮膚感覚でわかっていなかった。 片山:労農派は天皇をブルジョワの傀儡以上のものでないと思っているから、天皇が好きも嫌いもない。大したものでないということですね。天皇を実体的皇帝と見ないと気の済まぬ講座派とはえらい違いだ。 佐藤:だから頑固で転向しないんですね。不思議なことに労農派は、投獄されても命まではとられなかった。日本には余裕があったんだと思う。ナチスだったら、きっと皆殺しでしょう。 これは現代の警察や公安調査庁にも続いていることで、要するに講壇マルクス主義者(※言論活動等の穏健な手段で社会変革を目指すマルクス主義者)は脅威とされていない。思想言論の範囲内でやっているだけで、組織化しなければいいと。国家をひっくり返すのは組織だと。 片山:なるほど。組織というものは、イデオロギーも何もよくわからないで、とにかく命令されればやります、という人を作ってしまいますからね。 佐藤:こうして見ると、統制派や労農派は当時のグローバルな発想で、一方の皇道派、講座派はナショナルな思想という構図が見えてくる。 片山:同じ構造がマトリョーシカのようになっている気がしますね。 佐藤:さらに言えば、昭和20年までに見られるこの図式は、その後の80年、昭和100年まで反復されていると思えませんか。 片山:なるほど。