「梅津庸一 クリスタルパレス」(国立国際美術館)開幕レポート。あふれでる「脆さ」のあとにできた道
美術家・梅津庸一(1982~)の、2000年代半ばより始まる仕事を総覧する大規模個展「梅津庸一 クリスタルパレス」が大阪・中之島の国立国際美術館 で開幕した。会期は10月6日まで。担当は同館主任学芸員の福元崇志。 梅津は1982年山形県生まれ。東京造形大学絵画科卒業後、日本の近代洋画の黎明期の作品を自らに憑依させた自画像をはじめとする絵画作品を発表し注目を集める。その後、私塾「パープルーム予備校」(2014~)や自身が主宰する「パープルームギャラリー」の運営、テキストの執筆のほか、近年は陶芸や版画に表現領域を拡大するなど、その活動は多岐にわたってきた。本展は、こうした梅津の活動の軌跡をたどる試みとなる。 展覧会タイトルの「クリスタルパレス」の由来について、梅津は次のように述べた。「1851年のロンドン万国博覧会で登場し、後には巨大な温室を含む複合施設として転用された鉄骨とガラスのパビリオンが『クリスタルパレス』だ。本展は梅津庸一という40代の中堅作家の半生をたどる展覧会ではあるが、いっぽうで2025年にここ大阪で開催される『大阪・関西万博』についても意識したものとなっている。国立国際美術館は当初、1970年の大阪万博の跡地を利用するかたちで開館しており、万博とは深い関係にある館といえる。絵画史を紐解いても美術制度と万博は歴史的にも深く関係しているが、いまの美術界は大阪関西万博に無関心な人が多いのではないか。万博が喚起する想像力の功罪について、自分の個展を通して考えられたら、との思いも込めた」。 また、担当の福本は本展を開催する意図を次のように述べた。「梅津の20年の仕事のすべてを見せたいという思いでつくりあげたが、梅津はひとりの人間としてとらえきれないほどの活動の多様さと作品の物量を持つ。しかし通底しているのは『つくるということはどういうことか』という問いではないか。職能としてではなく、あらゆる仕事における『つくる』という営みへの問いは普遍的であり、広く投げかける価値のあるものだと思っている」。 展覧会は5章構成。第1章に入る前の会場入口にいくつも並べられているのが、ヤシの木をモチーフとした陶芸作品「パームツリー」シリーズ(2021~)だ。梅津は本シリーズを「どこか民芸品のような素朴さとポップさがある」と評するが、ヤシの木はそれぞれ色もシルエットも異なり、例えばうなだれているものを見れば「元気がないのだろうか」といった感情が喚起される。 梅津はこれまでの自身の仕事をふりかえり、「色々と失敗をしてきたので苦い思い出もよみがえってきてくるが、いっぽうでつくることが素朴に好きだということも改めて感じた」と語っているが、様々な姿をしたヤシの木には、梅津がこれまで経験してきた悲喜交交が宿っているようだ。 続く第1章「知られざる蒙古斑たちへ」では、「美術」の制度と個人史とを重ね合わせながら絵を描いていた、初期の梅津の活動をたどる。 冒頭で展示されているのが、梅津が小学校6年生のときに描いた絵画《校庭から見える風景》だ。偶然発見したことで展示することになったという本作だが、この頃よりすでに点描を取り入れていることがわかる。また、大学卒業後間もないころの《魚肉ソーセージ》(2005)は、グリッド状の点描による背景のゆがみとともに、魚肉ソーセージが描かれているが。これは高橋由一が豆腐や酒といった日本人的なモチーフを扱った洋画を描いたことにちなんだた作品だ。梅津が現代の日本における身近なモチーフとして選んだ魚肉ソーセージが、グリッドによる「歪み」のなかにさらされる本作からは、初期の梅津の批評的観点が見てとれる。 初期の梅津のキャリアにおいて高く評価されたのが、《フロレアル(わたし)》(2004~07)だ。東京藝術大学で教鞭をとり、日本の洋画黎明期を支えた画家のひとりであるラファエル・コラン《フロレアル》のモデルを自分自身とした本作は、いまに至るまで梅津が続けている美術大学についての制度批判が、極めてクリティカルに絵画を通じて表現されたインスタレーションといえる。 また、真珠湾攻撃に参加して戦死した梅津の大叔父をモチーフにした絵画や、東京藝術大学の基礎をかたちづくったといえる洋画家・黒田清輝の黒田清輝の《智・感・情》(1897~90)を、4枚の自画像で構成した《智・感・情・A》など、日本の美術制度への批評的観点と自身の存在を重ね合わせる一連の作品は、多くの美術関係者の注目を浴び、梅津の評価へとつながっていった。 いっぽうで梅津は活動初期に、大量のドローイングを制作している。これらは内省的で詩的な文字列とともに、マンガやアニメのキャラクターのような人物像が描かれたものだ。膨大な量を描いたものの、世に出す機会が少なかったというこれらのドローイングからは、絵画における批評性とはまた異なる、梅津のもうひとつの姿勢も垣間見える。 例えば本展では、梅津が30年以上にわたり追いかけ続けているビジュアル系のミュージシャンたちのCDが展示されているが、これらの音楽について梅津は「本当は美術史以上に自分に影響を与えている」と語る。梅津の初期のドローイングがまとっているどこか耽美的で退廃的なイメージは、梅津が拘泥するビジュアル系の世界観ともリンクしているのだろう。 自らを制度のなかに置きながら、その制度を批判する絵画群を制作してきた梅津だが、やがて「制度のなかでやれることをやりきってしまった」とも感じたという。第2章「花粉を飛ばしたい!」では、こうした思いとともに「この国においては美術のみで身を立てることが難しい」と、介護施設で働きながら美術という領域における「私有地」を確保していこうとした2010年代前半における梅津の活動を振り返る。 この頃から梅津は、勤務先の休憩時間などで制作できるように紙や小さなパネルを支持体とした絵画を手掛けるようになる。この時期の作品はあまり広く公開されてこなかったが、梅津は「その後の陶芸や版画といった活動につながる世界観はこの時期に醸成されたので、大事な時期だった」と振り返る。梅津がこの時期に使い始めた「花粉」という言葉も、生活のなかでつくられた小さな断片がどこかで受粉し、やがて花弁や実になっていくという、祈りにも似た制作の営みから生まれたものだろう。 また、梅津の活動として広く知られている「パープルーム」についての紹介もこの章で行われている。既存の美術教育制度への批判的観点から梅津の相模原の自宅で続けられてきた梅津の私塾「パープルーム予備校」や、同地のスペースで断続的に展覧会を開催しキュレーションを繰り返してきた「パープルームギャラリー」などに関連する「残留物」を展示している。 第3章「新しいひび」は、自身の創作意欲の低下と、コロナ禍で活動の停滞を余儀なくされた梅津が陶芸に傾倒し、さらに2021年に滋賀・信楽に移住しながら、つくることの喜びを取り戻そうとした時期の活動を追う。 梅津が陶芸に取り組み始めたのちに制作したのが《黄昏の街》(2019-2021)だ。街のようにも見える小さな陶作品の集合体であり、梅津が「ひとつの箱舟のよう」と形容する本作からは、コロナ禍でロックダウンされた街のような静けさを感じられるが、同時に一つひとつの立体はそれぞれに個性的で、ささやかな各個の営みがあるようにも感じられる。 梅津の陶作品はとにかく点数が多く、本章ではほかにも数多くの作品が並ぶ。「ボトルメールシップ」はガラス瓶と陶によって制作されたシリーズで、梅津が多用する「花粉」のように、たとえ誤配であっても誰かに届くであろう可能性が込められている。また「花粉濾し器」は、生活用品である鍋を型にしたドーム型の土台の上に、網目のあるラケットのような構造物を構築したシリーズ。「花粉」という何かしらの可能性をとらえようとする本作を、本展ではまるで生物の進化の課程を表す博物館のように展示している。 また、こうした作陶とともに梅津は紙を支持体としたドローイングシリーズを制作するようになった。目に見えない原子を表現したようなやわらかな色彩を持つ本シリーズは、「陶芸を経由したことで苦しまずに描けるようになった」作品群だという。 こうした梅津の作陶への興味は、やがて芸術に関わる産業そのものに向いていく。第4章「現代美術産業」では、梅津が信楽で地場産業の構造や苦境に出会い、その環境を利用するだけでなくより深く内部に入り込み、内面化するように近づいていった課程を探る。 信楽の窯元「丸倍製陶」の巨大なガス窯や、陶芸用品メーカー「シンリュウ」の電気窯、「大塚オーミ陶業」の製陶技術などに支えられて、梅津は様々な陶作品をつくるようになっていった。また、近年は東京・町田市の版画工房カワラボで版画作品にも取り組む梅津。版画もまた、プロダクトとして独自の魅力を持っているといい、当初はドローイングと組み合わせていた梅津も、現在は版画のみの可能性を探っているという。 本章ではこうした陶や版画を、ひとつの産業のダイナミズムとして展示する。現代美術も、梅津が愛好するヴィジュアル系の音楽も、産業としての側面を無視できない。会場では、こうした構造を下支えするものへの梅津の眼差しも感じられるだろう。 最後となる第5章「パビリオン、水晶宮」は、本展の総まとめともいえる締めくくりであり、そして今後の梅津の進む方向を示唆する章だ。 本展に際して梅津は、自身が古くから愛聴してきたビジュアル系バンド「DIAURA」に展覧会オリジナル楽曲を発注した。本章の展示室ではこの楽曲とともに、新たに制作されたMVが上映される。「陶芸はやわらかいものだと感じている」と語る梅津の陶作品が、AIによって溶けていくイメージが連続するこのMVは、崩れながらも変化していくことへの希望も感じられる。 さらに本章で梅津は、国立国際美術館という本展の会場について言及するような作品も展示している。国立国際美術館は展示室が地下にある珍しい構造を持つが、いっぽうで今年4月には「コレクション2 身体───身体」が漏水により会期途中で終了し、修繕工事を行うなどの弊害も出ている。屏風型の作品《水難》(2023)は、この問題が起こる前に制作されたものだが、梅津はここに関連性を見出し本展で展示をした。その理由について、梅津は次のように語っている。「中之島という河川の中洲にあり、しかも地下構造という国立国際美術館は、確かに不安定な状態にあるのかもしれない。しかし、そこをたんに『悪い場所』とするのではなく、不安定だからこその可能性を探っていきたいとも思っている」。 本展を通してみれば、梅津庸一はつねにフラジャイルな場を求め、そこに身を置こうとしてきた美術家だということがわかってくる。それは美術批評家の椹木野衣が捻じれや歪みの滞留する「悪い場所」と称した日本の現代美術であり、技術的に高いものを持ちながらも後継者や産業構造の変化といった問題を抱える陶芸産業であり、そしてヴィジュアル系ロックバンドが発信し続けた退廃的で儚い価値観を消費する音楽文化でもある。しかし、こうした「脆さ」への興味と希求こそが、梅津の「つくる」原動力になっていることが本展では示されている。次なるフラジャイルはどこにあるのか。本展はそれを探す道程を示した展覧会といえるだろう。
文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)