【世界の野球アメリカ編5】「初ヒット」という祖母の最後の贈りもの
米カリフォルニア州メアリーズビルのチーム「ゴールドソックス」に入団した色川さん(2010年当時の映像)
【連載・色川冬馬の世界の野球~アメリカ編(5)~】 2015年から、野球のパキスタン代表監督を日本人の色川冬馬さん(26)が務めている。選手としてアメリカの独立リーグやプエルトリコ、メキシコのリーグでプレーし、その後代表監督としてイラン、パキスタンを指揮した色川さん。これまでの経験を通じて世界各地の野球文化や事情を紹介するとともに、日本野球のあるべき姿を探っていく。 ◇
2010年、米カリフォルニアのチーム「ゴールドソックス」のシーズン開幕に向け、現地メアリーズビルの街では「1200キロ離れた国から日本人が来る」と地元新聞社にも取り上げられ、小さな盛り上がりを見せていた。クラブ創設以来初となる日本人選手受け入れ、それも英語を少しだけしか話なせない日本人ということで、球団側も手探り状態のお出迎えといった感じだった。
結果が出ず、ファンからブーイング
暑い日には気温40度を越し、乾燥しているメアリーズビルの街。練習で汗をかいても、バッティングの待ち時間の間にTシャツの汗が乾いていくほどだった。暑さもあってか、ホームゲームの大半はナイターで行われていた。現地に到着して数日、新たな出会いと環境にワクワクしている間に、シーズンが開幕した。 開幕戦からスタメン出場し、球団と街の期待をいっぱいに背負って走り出した2010年シーズン。ゴールドソックスのこの年の1試合あたりの観客動員数は、1320人。イベントがある日には、3000人を超えるファンが足を運ぶ。しかし、開幕から思うように結果がでない日々が続き、チャンスが減っていった。期待に胸を膨らませていたファンも、開幕2週間で態度は一変。ブーイングを浴びるようにもなっていた。
「四十九日」
四球を選ぶなどして出塁することはあったが、気がつけば開幕から11打数ノーヒット。私自身も人生で初めての経験に、どうしたらいいか分からなかった。試合後も空き地へ行きバットを振り続けるなど、思考錯誤したが結果が出なかった。オフの日には、球団オーナーが日本食レストランへ連れて行ってくれるなど、球団側も困った様子なのを肌で感じていた。それでも、人に助けられてここまで歩んできた人生。何としても自分で打破しなければいけないと、眠れないほどに悩んでいた。