【世界の野球アメリカ編5】「初ヒット」という祖母の最後の贈りもの
ある日の朝。ふとパソコンを開くと母親から「祖母の四十九日に行ってきます」とメールが入っていた。私は四十九日の意味が分からず、ネットで調べた。四十九日とは「故人の魂は、49日間は家族のそばにいて、自分が亡くなったと理解する事で成仏する準備が整い、49日を過ぎると成仏して天国に行く」と書いてあった。球場へ行く道中、祖母の“魂”が仙台を出て大海原を越えてカリフォルニアの地まで来ていることを想像すると「なぜおれは大海原を越えてまで、狭い世界に引きこもっているのだろう」と、今自分が直面している現実が小さく思えてきた。そして「おばあちゃんが見ているかもしれない最後の日、かっこいい姿を見せよう」と心に誓った。
地元紙一面を飾った初ヒット
その時、自分を制御していた不安や恐怖といった心のリミッターが取り外された気がした。セカンドを守っていた私は、容赦なくショートから来る英語の指示が理解できず、試合中もコミュニケーションに不安を抱えていたが、海を越えてまで野球をしに来た自分に不思議な自信が湧き、挑戦する勇気に変わった。いつも人を小馬鹿にしたように振舞う恐怖の観客でさえ、見ると心が和み、仲間に思えてきた。
さらに、その日の試合、幸運にもスタメンで出場した私は、初回いきなりダイビングキャッチで球場を盛り上げていた。そしてタイムリーヒットを含む3打数2安打で、翌日の地元紙一面を飾った。新聞には「ついに」と書かれていた。その後も、ヒットを重ね、金土日の3連戦で9打数5安打と復調していった。 祖母からの最後のギフトに、私はただただ感謝した。そして、これからは歩みを止めず、より強く自分らしく歩み続けよう誓った。 (つづく) ◆色川冬馬 1990年仙台市生まれ。聖和学園高校、仙台大卒。大学在学中にメジャーリーガーを目指し単身渡米。2年後独立リーグと契約。米・メキシコ・プエルトリコ等のリーグでプレーした後、2013年現役引退。宮城で中学生を指導している中、イランでもユース世代に野球指導。その実績が認められ2014年イラン代表監督就任。16年間で1勝しか出来なかったイランを2015年西アジアカップで準優勝に導き、パキスタン代表監督に就任。9月のアジア選手権でパキスタン代表を初のWBC予選出場へ導いた。リトルリーグのラテンアメリカ野球選手権日本代表監督も務める。
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