不動の日産「ダットサン1000」を修理して50数年! 初めてのマイカーが一生モノの付き合いとなりました
50年来のベテランオーナーとダットサンの名を広めたヒストリックカーのストーリー
オースチン由来のエンジンを搭載し、ダットサンの名を世界に認知させるきっかけともなったクルマが210型の日産「ダットサン1000」です。そんなダットサン1000を50数年前に入手してレストアも行い、こつこつと維持してきたのがオーナーの鹿野谷さん。ベテランオーナーの初めてのマイカーだったという愛車とのストーリーを伺いました。 【画像】英国風な風情がカッコいい! 210型「ダットサン1000」を見る(12枚)
ダットサン・ブランド飛躍のきっかけとなったモデル
「20世紀ミーティング 2024年春季」がさる2024年4月14日、折りしも満開の桜が見事な三条市内の三条パール金属スタジアム(市民球場)にて開催された。今回初の参加となったエントラントの中でもかなりベテランの部類に入るのがこちらの1台。1958年式の「ダットサン1000」(210型)だ。 ご存知の通り第二次世界大戦での敗戦により、大きく停滞した日本の乗用車産業。そのブランクを埋めるべく日産は1952年に英国のオースチンと提携し、翌年からオースチン「サマーセット」(A40)、そして1955年からはオースチン「ケンブリッジ」(A50)のノックダウン生産を開始してノウハウを蓄積した。その時に蓄えた技術が活かされたのが、このダットサン1000というわけだ。 ボディの見た目は先代の110型ダットサンとほぼ一緒だが、1957年に登場したこの210型に採用されたエンジンはオースチン由来の988cc直4 OHV。このモデルから本格的に対北米輸出も始まり、1958年の豪州ラリーではワークス参戦した2台の210がクラス優勝/4位入賞を果たすなど、国際的にもダットサン・ブランド飛躍のきっかけとなった。そしてこの210の成功が後の310型・初代「ブルーバード」の大ヒットへとつながるわけだが、それはまた別のストーリー。
レストアも行い、50年以上の付き合いとなる愛車
「この210を中古で手に入れたのはたしか1970年ごろだったから、かれこれ50数年前かな」 とお話を聞かせてくれたのは、オーナーの鹿野谷 喜秀(かのや きしゅう)さん。鹿野谷さんは「全日本ダットサン会・210クラブ」の会員で各地のイベントにも参加されるベテランだが、前述のようにこのイベントには初参加。もともとクルマが大好きで学校を卒業後は自動車修理の道へ進んだが、その頃は経済的な苦労も多かったという。 「そこで数年ほど働いた後、もう少し割の良い運転手の仕事に転職したんだよね」 そして生活に少し余裕の出来てきた鹿野谷さんが初めての「マイカー」として手に入れたのが、この210型ダットサン1000だった。 入手当時すでに10年以上昔のクルマで、しかも不動状態だったという。 「ある程度は自分でいじれるので自分でこつこつ作業して、35~6年前には一度レストアしてるんだ。ボルトなどに英国車由来のインチとメトリックが混在しているのは、この時代のダットサンならではだね」 という鹿野谷さんの210からは、手入れの行き届いたヒストリックカー特有のパリッとした佇まいと、長年にわたるオーナーとの付き合いが感じられる適度なライブ感が共存している。 「私の写真なんか、撮らなくていいから」とオーナースナップは辞退された鹿野谷さんは、とてもいい笑顔でした。
長尾 循(NAGAO Jun)
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