元虎戦士が阪神に熱いエール。「甲子園は世界で通用する選手を育てる場所」
アッチソンは2年間、阪神で活躍した後、3年目のオプションを更新せず、メジャー再挑戦の道を選んだ。以後、6年間で、レッドソックス、メッツ、インディアンズのメジャー3球団でプレー、2014年はインディアンズで70試合に登板、6勝0敗、14ホールド、防御率2.75の成績を残すなど、日本で学びとったものを糧に貴重な中継ぎとして活躍をした。 「日本に来る前の自分は、なかなかメジャーに定着できない状態だった。阪神からオファーを貰った時は、先のことをあまり考えずに、とにかくこのチャンスに挑戦しようという気持ちだった。米国に戻ることは、家族の意向などを色々考慮した上で下した判断。日本である程度やれたことで、メジャーに戻ってもやれるんじゃないか、という気はしていた。日本での経験は、その後の野球人生で、とても大きく役立っていると思う」 阪神時代の収穫のひとつは、自分の投球スタイルを確立したこと。メジャーとマイナーを行ったり来たりしていたアッチソンにとって、シーズン通して勝ちパターンで起用された経験は大きな自信になった。 「それまでは、緊迫した試合で、焦って投げ急いでしまう傾向があったけれど、毎日、満員のファンで埋まる甲子園で投げることで、常に冷静でいるコツを覚えたんだ。大観衆の中で、緊迫した七回、八回を任される状況を如何にハンドルするか。メジャーに戻って(人気球団の)レッドソックスと契約してフェンウェイ球場で投げたが、緊迫した場面でもパニックにならず、リラックスして投げられるようになったのは、甲子園での経験が生きていたからだと思う」 阪神ファンの大声援、甲子園球場が強いメンタルを育ててくれたという。 日本で習得したカットボールも効果的だった。それまでは大きな軌道のスライダーを投げていたが、日本で小さく変化するカットボールを覚え、投球の幅が広がった。 アッチソンは、共にプレーした金本知憲が阪神の監督に就任したことも知らなかった。 「へえー! 監督は金本さん? 僕が日本にいた時、連続フルイニング出場の記録を更新していたのを覚えているよ。リーダーシップを発揮して、いい監督になるだろう。阪神タイガースの今シーズンの成功を祈っているよ」。元虎戦士からの海を越えた熱いエール。“聖地”甲子園は世界で通用する選手を育てる場所だった。