プロでは通用せず…。消えた高校サッカーの元スーパースター(4)芽が出ず戦力外…。全国決勝でハットした怪物
第103回全国高等学校サッカー選手権大会が開催されている。過去の大会では多くのスターが誕生した。その後、プロとして華々しいキャリアを積む選手がいた一方で、パッとしなかった選手もいる。今回は、選手権でインパクトを残しながらも、プロとして期待されたほどの活躍ができなかった選手をピックアップして紹介する。
MF:山形恭平(やまがた・きょうへい) 生年月日:1981年9月7日 出身高校:東福岡高等学校 主な在籍クラブ:サンフレッチェ広島、アビスパ福岡、V・ファーレン長崎 山形恭平は、1998年度の第77回全国高校サッカー選手権大会で優勝した東福岡高等学校のMFだ。 東福岡は前年度、本山雅志らを擁し、選手権のほかにインターハイと全日本ユースも制し、史上初の高校3冠を達成した。その偉大なチームの次の代も、決勝戦で帝京高校と対戦することになったが、この大舞台で主役になったのが山形だった。 帝京に先制を許して前半を終えた東福岡は、後半の立ち上がりに山形の2ゴールで逆転。すると、2-2に追いつかれて迎えた終盤にも同選手がネットを揺らしてハットトリックを達成。その後、宮原裕司の華麗なミドルシュートも決まり、前年度チャンピオンが4-2で勝利して連覇を成し遂げた。 山形は、ドリブルで相手を切り裂き、決定的なパスを供給するだけでなく、自ら得点も決める万能型のMFだった。高校サッカーのスターとして、その名を全国に知らしめた。 高校卒業後は、サンフレッチェ広島でプロとしてのキャリアを始めた。しかし、4年経っても芽が出ず、2003シーズン限りで戦力外に。翌2004シーズンからはアビスパ福岡でプレー。4シーズンにわたってプレーし、うち3シーズンは主力だったものの、J1で過ごした2006シーズンはリーグ戦出場4試合にとどまった。 2008シーズンは当時九州リーグのV・ファーレン長崎で10番を背負ってプレー。クラブのJFL昇格に貢献したあと、現役を引退した。
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