ライブで顔を上げるのも怖かった──喉の「爆弾」と闘い続ける、「残響散歌」Aimerの素顔
「やっぱり生きることって、劇的につらいことがなかったとしても、それでも息苦しさや窮屈さを、どこかしらで感じることがあると思うんです。例えば、ファンレターをくださった方で1人で子育てしていて、そんななか私の音楽に出会ったと。こんなに音楽を好きになることはなかった、音楽に初めて救われて、ライブにも行くようになりましたという言葉から、おおげさじゃなく『この人と出会えてよかったな』って思うんです。だから、どんどん使命感みたいなものも生まれてきて。これから先に出会うかもしれない誰かにも、何かしらの影響が生まれるような音楽を自分が作る必要があるんじゃないかって。今この世界に生きてる私たちの心を守れるような音楽を作りたいなって思ってますね」
喉に「爆弾」を抱えながらも 生の声を届けたい
テレビやラジオにも出演するが、Aimerの活動はあくまでライブが中心だ。その原体験は、幼少期にまでさかのぼる。 「父がバンドのベーシストで、ブルースやジャズをやっていたんです。ちょっと薄暗いライブハウスで、タバコの煙とかがくゆっているなかで、その日限りの音楽を体験できたことは、自分にとって財産になっていて。なので必然的に、自分もミュージシャンになって、レコーディングしたものを聴いてもらうだけじゃなくて、生の音楽をちゃんと届けたいっていう思いがずっと心の中にありました」
ライブという生の音楽を大事にするAimerだが、15歳で喉を痛め、半年間にも及ぶ沈黙療法を経験して以来、声帯に結節(声帯の中央に生じる小さな隆起のこと)がある状態で歌い続けてきた。いわば「爆弾を抱えた状態」でデビューしたことに、本人が「プロとしてどうなんだろう」と思っていたとラジオで語っていたこともある。結節を治療すると声質が変わってしまう可能性もあるため、共存しながら音楽活動を続けてきた。 「中学生時代の結節がほぼ残っている状態で、耳鼻科の先生に、それこそ毎週ぐらいの頻度で声帯の様子を診ていただいているんです。デビュー当時は静かな曲をメインに歌っていて喉にも負荷をかけなかったんですけど、だんだん音楽性が広がってきて、激しい曲を歌う場面も増えて。喉にかかる負荷っていうのは、どんどん増えていってるのは事実なんだけど、喉を守る技術を日々磨く、という方向で対処しています」