渡辺恒雄氏 FOXグループのドジャース買収時、株の半分所有を「やるかというところまでいったんだけれど」
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日午前2時、肺炎のため、都内の病院で死去した。98歳だった。 * * * * 【悼む】 1978年の江川事件から球界との接点ができた渡辺氏は「僕は野球を知らない」と告白していた。「何で打者は三塁に走っちゃいけないのかと思っていた」そうだ。そんな“野球音痴”が89年、巨人軍最高経営会議の一員となった。いやが応でもスポーツメディアが接触する。「イエロージャーナリズム」と嫌っていた野球記者から直撃され、失言や暴言もあったが、質問には答えた。「僕も新聞記者だったから、答えてしまうんだ」と苦笑していた。 オーナー時代の2001年、初めて単独インタビューをした時のこと。机には野球協約が置いてあった。こちらの質問には、書き込みがなされた協約をめくりながら答えた。その姿はワンマンというより、色白のインテリゲンチアと思えた。 オーナー会議で球団経営問題が議題になる時、常に主導権を握った。情報量も豊富。球界最高の論客であり、経営者側のリーダーシップを常に持ち続けた。他のオーナーの多くが、事あるごとに渡辺氏を訪ねた。間違いなく日本球界を代表する一人だった。 トレードマークのパイプをくゆらす姿を拝見すると、思い出すのは、あの夢だ。97年、メディア王のルパート・マードックが、配下のFOXグループによるドジャース買収の際、渡辺氏に「株を半分持たないか」と、持ちかけたというのだ。「日本テレビと協力して、やるかというところまでいったんだけれど、買収交渉が長引いて、時間切れで結局、立ち消えになった」と振り返った。「日本の野球協約では、国内他球団の株は持てないが、外国球団の株を持ってはいけないという制限事項はないから」というオチまでつけてくれた。もし、実現していたらどうなっていたんだろうと夢想する。(山田 收=90、91年巨人担当キャップ)
報知新聞社