Laura day romanceが2024年第2弾シングルをリリース「これだ!って思ったんです。これがシングルになるんだなって」
──鈴木さんも、これまで曲を書き続けてきて、よりそういう自分自身に近い歌詞になっていった感触ですか。 鈴木 そうですね。最初の頃を考えると、自分をどれくらい開示するか結構制限をかけていたかもなって思うんですよね。そこから、例えば自分をちょっと見せたとき、それに対してちゃんと反響があったりすると、これは出してもいいものなんだなとか。年々そのラインが広がっていく感じはあります。 ──それまではLaura day romanceとはこういうものだっていう、ある程度の枠組みみたいなものがあった。 鈴木 うん、ありましたね。それはあったと思います。 井上 どうにかして私だけでも外に出ないとっていう気持ちでいたんです。曲がこういうふうに変わってきてくれて、より自然体で歌えるようになったなって思います。 ──箱庭には箱庭の良さはあるけれど、というところですね。ではもう1曲、「透明」についてはどうですか。こちらはMVにもなっていますが、かつてないキャッチーさが冴える曲ですね。 鈴木 「透明」は最初にギターの象徴的なリフみたいなものができて、これをどういうふうに曲にするかというところからスタートしているんですけど。少し、レトロなテイストがあって、ちょっとダークなテーマもあるんですけど、誰しもが好きなようなところと共存させたものを作りたいなと思っていましたね。2000年代のバンドのダンスビートの曲、なんだけどただ裏打ちをするんじゃなくて、ぐっと踊れる感じというか。 礒本 4つ打ち系で、裏でハイハットが鳴ってるようなものってあまりやったことがなかったし。やったらやったで、やっぱりね? 鈴木 俺らのなかでは、それは安直だろうっていうのがあったから。禁じ手としてバンドでやらなかったビートのひとつだったんですけど。でもなんか、この曲はこれだろうっていう感じはあったかな。 礒本 ここでは敢えてという感じで。あとは、テンポ感とかもあって、面白いものになると思ったし。 鈴木 逆に今っぽさも出たかなと。 ──そういうビートやリズムが強調されているというより、すごく自然な感覚で、より歌詞やメロディがぽんと入ってくるものになっているなと感じます。 井上 歌っていてとくに意識してなかったですもん、これ裏打ちの曲だって(笑)。 ──歌詞では、どここか大人になっていく過程の切なさと煌めきがあって、同時にちょっと覚めた感じもある。とくにサビの、《僕が透明なうちに》という表現ってあまりないものだと思うんですけど、どういうイメージがありましたか。 鈴木 なんでだろうなあ……。 井上 自分が、濁ってきたなあと思いだしたからとか? 鈴木 そうなのかなあ。自分の作曲用に、タイトルノートみたいなものがあるんですよ。そこに“透明”はあった気がして、“透明”って曲を作りたいと思っていたとは思うので。そこから、そのときの自分は“透明”という言葉にどういう感情を抱くか、というところからスタートすることが結構あるんです。それだったのかな。自分が透明かと言ったら、透明じゃないし。っていうところからスタートしている曲なのかな。 ──いろんな意味合いに受けとれる歌詞でもあると思いますし、リスナーの方もその時々で映る思いが変わってきそうだなという。 鈴木 そうですね、当てはめる意味も変わってくると思います。 井上 いい歌詞だよね。いろんなものを受け止めてくれるっていうのは、“透明”っていう言葉ともリンクするし。自分が濁らない前に、っていう意味にもとれる。そういうことでは、ヒリヒリしていて10代後半とか20歳くらいの子にすごく響きそうだなって、勝手に思っていて。 鈴木 うん、ちょっと背伸びしてる感覚もあったり。大人から見たら、まだまだだろとか、青いこと言ってるなって思うかもしれないですけど、誰もが通っている共通の感情というか。そういうのがある気がしますね。 ──井上さんはどのように受け取っていたんですか。 井上 最近の歌詞に共通していることとして、例えば《無鉄砲な君に恋に落ちて》とか、迅くんってそういう強めな言葉を使ってたかな?と思って。以前だったら、私がこの歌詞どう?って言ったら、蹴落とされていそうな言葉も結構使っていたりして。 鈴木 蹴落とすって(笑)。でもわかる、前だったら却下しそうだよね。 井上 そういう言葉をめっちゃ入れてきている気がするんです。《泣きじゃくる》っていう表現とかもそうで。 ──その一語だけで状況かわかるような表現は、敢えてしたくないみたいな。 井上 そうです。昔よく迅くんに、「かっちゃん(井上)が作る歌詞は一聴して入ってくる言葉がありすぎる」ってよく言われていて、私はそういう歌詞でも、歌に乗ればいいっていうタイプだったんですけど。最初の頃は、それは嫌だなと思っていたようで。でも最近の迅くんの歌詞にはそれが入ってくる。ああ、変わったんだなと思って(笑)。 ──さっきのリズムの禁じ手の話もそうですが、こだわりとしてあった言葉の縛りみたいなものも、どんどんなくなっているんですね。 鈴木 それは四季のEPとかで書いたことの経験が生きていると思いますね。自分がかっこいいと思えるもの、好きな音楽も当時よりも増えていることとかもあると思いますしね。これもかっこいいなと思えるものが、たくさんある感じがします。