いづれの御時にか…「源氏物語」爆誕! どこから書き始めた?起筆論は エピソード「ゼロ」があったのでは
冒頭の「桐壺」から書き始めたという説は
水野:大河ドラマでは、帝に物語を奉ったのは『源氏物語』冒頭の「桐壺」でしたね。 夜にひとりで冊子を開いた帝が、「いづれの御時にか……」の有名な冒頭を読み始めて、一度閉じて「つづく」となっていました。 たらればさん:紫式部は(現在の『源氏物語』の第一帖にあたる)「桐壺」から書き始めたんじゃないか、と主張している研究はわりと少ないです。 今から100年ぐらい前に、哲学者であり日本文化史家である和辻哲郎が「巻頭におかれている【桐壺】から【夢浮橋】まで順番に書いていった、ということはないだろう」と言っています。 これは多くの研究者が同意するところで、わたくしも、第一帖から第五十四帖までこの順番で書かれたかというと、そうではなかっただろうなと思います。 水野:「桐壺」が最初に書かれたのではない、と考えられるのはどういう点にあるのでしょうか? たらればさん:「桐壺」って、『源氏物語』のほかの章段と比べても、文章と構成の完成度が非常に高いんですね。そのうえで後に起こる出来事の伏線も盛り込まれていて、それがきちんと効果的に表現されていて……。 五十四帖まで続く、作中時間70年、約100万字の物語を、あらかじめ構想して冒頭から書くのはさすがに無理だろう、ある程度書き進めたどこかの時点で、冒頭部分を足したんだろうな、と考えるのが自然かなと思うわけです。 水野:なるほど。たしかに。
エピソード「ゼロ」があった?
たらればさん:そもそもの話として、現在『源氏物語』は五十四帖にまとめられていますが、執筆当時このように五十四帖それぞれが「帖」や「巻」として個別にまとめられていたかどうかは分かりません。 『更級日記』によると公開後数十年後の時点で「五十余巻」というかたちにはなっていたことまでは分かっていますが、仮にまとめられていたとしても、(現在の「単行本」のように)1巻まとめて書かれて、順に公表・流布されていった、というのは考えづらいなと思います。 水野:枕草子も、順番が分かっていないという話がありましたよね。源氏物語も、いろんなエピソードを書いて、あとから編纂した可能性が高いということなんですね。 たらればさん:はい。そのうえで、ある「作品」を作るときには、エピソードから考えられ起筆されたのか、シーンからか、キャラクターからか、シチュエーションや舞台からか、というのは作品によって、作者によって千差万別です。 そうしたなかで、『源氏物語』はおそらく「原『源氏物語』」というべき、プロトタイプのようなエピソード「ゼロ」がいくつかあったのだろうと思う次第です。 水野:マンガ『ワンピース』にも、お話の始まりを描いた「ゼロ」のエピソードがありますもんね…! たらればさん:そうですね。たとえば「必死になって口説いた姫君と一晩をともにして明け方に顔を見たらものすごい不細工だった(末摘花)」だとか、「人妻を口説き寝所へ忍び込んだら、まだぬくもりの残る夜着だけ残して逃げられた(空蝉)」だとか、「垣間見した美しい少女に心を奪われて、女房の手引きで自宅に連れ帰った(若紫)」というような短い個別のエピソードがあって、それらが肉付けされ、統一されて「源氏物語」ができたのではないか、という説です。 これはなかなか説得力があって、わたくしも支持しています。 水野:たらればさんは、そのなかでも、どこから書き始められたと考えてますか? たらればさん:そうですね……これは山本淳子先生も書かれてるんですけど、「若紫」から、というのはなかなかあり得る話だなとは思っています。 紫の上との出会いの帖で、『伊勢物語』のオマージュ的なシーンもあるし、藤壺との密会が描かれる場面でもあります。ジェットコースター的なうえに前半の「仕込み」がたくさん盛り込まれていて、ここからいろんな展開へ広がる帖ですし。 水野:最初に書かれたと意識して読み返してみたいです。