古代ギリシャで「人妻」に手を出した男にはどんな制裁が加えられたのか
古代から変わらない人間の肉欲を掘り下げる考古学記者テリー・マデンホルムが、今回は古代ギリシャ・ローマ時代の「姦通」にスポットライトを当てる。イスラエル紙「ハアレツ」考古学欄で好評の最新記事を全訳でお届けする。 【画像】古代ギリシャの遊女とその客が描かれた陶器(前430年頃) 「愛人は快楽のため、女奴隷は身内の世話のためにあるが、妻は嫡子を産み、わが家族の忠実なる守り人となるためにある」──デモステネス、前4世紀 女には10種類ある、と言ったのは古代ギリシャの詩人アモルゴスのセモニデスだ。政治家・雄弁家デモステネスの数百年前(前7世紀頃)に生きたセモニデスは、女の種類の多くを家畜になぞらえた。 そのなかで唯一の良種で価値があるのは、蜜蜂女だった。蜜蜂はその勤勉な性分だけでなく、単為生殖することでも称賛されているからだとセモニデスは説明する(事実、蜜蜂は有性でも、いざとなればメスだけでも生殖できる)。 良妻はセックスに興味を抱くべからず──さもなければ、姦通して夫の顔に泥を塗りかねないからだとセモニデスは言う。 女たちは幼い頃から、主婦と母の役割を担うようしつけられた。彼女たちはたいてい10代前半で結婚し、性欲をどう燃え立たせるかも知らなかったか、そんなことを気にもかけなかっただろう。 夫婦の営みで、妻は受け身が基本だった。寝床での積極性は求められていなかったのだ。さらに悪いことに(場合によっては最高なことに)、白い目で見られる性行為もあった。そのなかで最も汚らわしいとされていたのが、オーラルセックスだ。 そんなわけで、男たちはほかの選択肢を探さざるをえない場合が多かった。愛人を持てない者には、古き良き代替案があった。買春である。 売春婦は裸で、さまざまな禁断の体位や性行為で客を誘惑し、セックスを先導することも多かった。そんなわけで、売春が古代ギリシャやのちの偉大なるローマ帝国の行政にとって強力な収入源になったのも不思議ではない。 早くもアルカイック時代(前800~前480頃)には、アテナイの名高い政治家であり、民主主義の基礎を築いたソロン(前640頃~前560頃)が、売春婦を「健全な」共同体の価値ある構成要素だとして、この「最古の職業」の経済的な利益を認めていた。 ソロンは、売春婦をセックスワーカーの地位にまで「向上」させ、その利用を民主化したのだ。古代の基準からすれば、それはとても斬新で、「思慮深い」ことだった。彼は、ほぼ誰でも利用できる手頃な定価の売春宿を開設した。 つまり、売春は夫婦関係の気晴らし以上のものになった。都市国家に定期的なキャッシュフローをもたらす公共事業になったのだ。 入手困難な「商品」を探し求めていた名士たちのためには、才色兼備で機知に富んだヘタイライ、すなわち卓越した女性コンパニオンがいた。古代の記者たちによれば、ヘタイライは普通のアテナイ女性をはるかに凌ぐほど、自らの精神と才能に磨きをかけていたという。 要するに、男の不貞を責めることは無理だったのだ。男は売春婦や女奴隷と交わって性的な充足感を得ることが許されていた。 自分が「受け」でなく「貫く者」である限りはほかの男とも交われたし、少年と関係を持つことさえも公認されていた(時代と都市国家にもよるが)。 唯一問題となったのは、男が家族への責任に支障を来すほど売春婦に金と時間を使い過ぎたか、あるいは「誠実な女」(後見人がいる女性)に手を出す不作法を働いた場合だ。これはキュリオス、つまり一家の長に対する攻撃と見なされ、ひんしゅくを買った。