田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.1 希実がはまった“ドーハの孤独”。悩める娘に読ませた記事とは。
田中希実。日本女子中距離界に衝撃を与え続けている小柄な女王。その専属コーチは実父・田中健智である。指導者としての実績もなかった男が、従来のシステムにとらわれず「世界に近づくためにはどうしたらいいか」を考え続けてきた。そんな父娘の共闘の記憶を、田中健智の著書『共闘』から抜粋し、短期連載としてお届けする。 【画像】田中希実を指導する父・健智 「そんなに辛いんだったら、パリは狙わずにシーズンオフしたら?」 2024年5月25日、アメリカ・ユージンで行われたダイヤモンドリーグ(DL)第5戦。5000メートルに出場した娘の希実は、14分47秒69をマークし、東京大会に続き、2大会連続の五輪代表内定を決めた。だが、その前日までは、コーチの私が思わずこんな言葉をかけてしまうほど、彼女の心はまったく整っていなかった。 今季、希実はエチオピア勢の動きを意識したフォームの改良に取り組んでいる。ただ、去年より身体の前傾を出したことで、蹴り出しや接地の部分など身体のポジショニングがまだ定まっておらず、そこに走りの不安定さが生まれていた。フォームを感覚だけでは再現できず、頭を使いながら走ってしまうため、最後まで余力が残らず、ラストスパートが伸び悩んでいたのだと思う。 本来、5月10日のDL第3戦ドーハに向かう前のフィラデルフィア滞在中に、5000メートルに向けてスタミナ系のインターバルを入れるつもりだった。フォームの再現性を高めるには、トップスピードの局面という「点」だけでなく、リカバリー部分もそれなりのスピードで上手くつなげなければ「線」にはならない。しかし、本人はその練習をこなせるか不安があったようだ。相談した結果、つなぎの部分をレストに変えて、ショートインターバル系の練習に切り替えることになった。 お互いに納得の上でメニューを変えたのだが、最終的な部分での細かいズレや不安が、ドーハの悲劇ともいえるレースにつながったのだろう。2400メートルまでの動きは良かったはずなのに、そこからずるずると落ちていき、3000メートルの通過は8分53秒前後。五輪参加標準記録(14分52秒00)には届かなくとも、そこから粘れば14分台では走れていたはずなのに、「もう後がない」と自信を失ってしまったらしい。 タイムは15分11秒21。一周のラップが80秒近くかかった周回もあり、そこまでのラップに一時的に落ちていたということが、本人の絶望を物語っていたのだろう。年々、競技力が上がれば上がるほど、周りの評価のハードルも高くなり、本人にかかるプレッシャーも大きくなっている。一方、向かっている場所は無我夢中で走るだけでは行き着けないところに達し始めていて、本人は競技者として、日本の中で孤独を感じているようだ。なぜならば、今までは小林祐梨子さんや福士加代子さんという一つ上の存在がいて、彼女たちの足跡を追いかけるだけで強くなれたのが、今は誰も歩んでいない道を自ら進んでいかなければならないからだ。 例えば、オーストラリアには現在、ジェシカ・ハルやリンデン・ホール、ジョージア・グリフィスといった1500メートルの4分切りランナーが何人もいる。それぞれが「私にもできる」というマインドで高め合ってきたから、ここ数年で急成長を遂げているのだろう。対して日本では、1500メートルは彼女の一人旅となり、5000メートルを14分台で走れるのも、この1、2年は彼女一人だけとなっている。国内に競う相手がいたら勝ち負けの怖さもあるだろうが、それよりも本人は孤独の怖さや不安のほうが強いのだと思う。 ドーハで参加標準記録を突破するつもりが、スケジュールが狂ってしまった焦り、そして「一人で向かっていけるのか」という孤独感が、ユージン前日の心の乱れにつながっていたのだろう。レースを「怖い」と思ってしまうのなら、一度、心と身体を充電して、来年の世界選手権に向かっていくのも良いのではないか。そう思い、冒頭の一言を投げかけたのだが、同時に、ある記事を彼女に読ませた。 それは、オランダのシファン・ハッサン選手も「悩んでいる」という内容の記事だった。どんなにレベルが上の選手でも葛藤やもっと大きな悩みを抱えている。希実はそれを認識として持てたことで、気持ちが吹っ切れたのかもしれない。そこからは目つきが変わり、ユージンで参加標準記録を突破すると、次戦のDLオスロの3000メートルで8分34秒09の日本新をマーク。そしてDL第7戦ストックホルムの1500メートルで、4分02秒98のタイムを出し、過去最高水準ともいえる結果でDL3連戦を終えることができた。 1500メートルの4分02秒98は、東京五輪の予選(4分02秒33)、準決勝(3分59秒19)、決勝(3分59秒95)を除けば過去最高タイムだった。地元開催という追い風の吹く状況で、ある意味勢いで出せた日本記録が「足かせ」になっていたが、ようやくその呪縛から抜け出すことができた。パリの参加標準(4分02秒50)にはわずかに届かなかったが、決して悲観的には捉えていない。 東京大会の時はまだ「無名の東洋人」でノーマークだったがゆえに、自分の思い通りに走れての“棚ぼた”の日本記録。一方、今はDLでも常連の存在で「前に行かせてはならない」と思われているのか、激しく接触され思い通りにならないレースで出せた記録だ。仮に期間内に参加標準記録を突破できずターゲットナンバー(※)内に入っての選出になったとしても「それだけの力を持っている」という自信を胸にパリに乗り込んでいけるだろう。【田中希実の実父が明かす“共闘”の真実vol.2に続く】 ※ターゲットナンバー/各種目の出場可能な人数枠に入ったランキング上位者に参加資格が与えられる <田中健智・著『共闘 セオリーを覆す父と娘のコーチング論』序章より一部抜粋> 田中健智 たなか・かつとし●1970年11月19日、兵庫県生まれ。三木東高―川崎重工。現役時代は中・長距離選手として活躍し、96年限りで現役引退。2001年までトクセン工業で妻・千洋(97、03年北海道マラソン優勝)のコーチ兼練習パートナーを務めた後、ランニング関連会社に勤務しイベント運営やICチップを使った記録計測に携わり、その傍ら妻のコーチを継続、06年にATHTRACK株式会社の前身であるAthle-C(アスレック)を立ち上げ独立。陸上関連のイベントの企画・運営、ランニング教室などを行い、現在も「走る楽しさ」を伝えている。19年豊田自動織機TCのコーチ就任で長女・希実や、後藤夢の指導に当たる。希実は1000、1500、3000、5000mなど、数々の日本記録を持つ女子中距離界のエースに成長。21年東京五輪女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞を成し遂げている。23年4月よりプロ転向した希実[NewBalance]の専属コーチとして、世界選手権、ダイヤモンドリーグといった世界最高峰の舞台で活躍する娘を独自のコーチングで指導に当たっている。
編集部01