太宰府天満宮の駐車場は、なぜ徒歩7分の場所にあるのか
PARaDE代表の中川淳が、企業やブランドの何気ない“モノ・コト”から感じられるライフスタンスを読み解く連載。今回のテーマは「太宰府天満宮の駐車場」。中川がライフスタンスを感じたという、太宰府天満宮と駐車場の距離に隠されたメッセージとは。 久しぶりに実家に帰ったので、親と神社にお参りにでも行こうという話になり、車で隣町の神社へいくことに。神社のすぐ隣にある駐車場に車を停め、社殿へと向かった。 この話、よくありそうなシチュエーションで、特に違和感を感じる人もいないだろう。ところが、全国的に著名で年間約1000万人の参拝者が訪れる神社、太宰府天満宮の駐車場は社殿の近くにない。Googleマップで調べると、参道の入り口に位置し、徒歩で7分はかかる。広大な敷地を有しているので、社殿の側に駐車場をつくれないということは考えられない。何か理由があるはずだ。 以前、太宰府天満宮の観光案内所のプロジェクトで、宮司の西高辻 信宏さんとご一緒する機会があった。その際、駐車場を参道の入り口につくることにこだわったという話を聞いた。 戦後モータリゼーションが進んだことで国内旅行が盛んになり、さまざまな観光地が活況をみせた。なかでも神社やお寺は人気が高く、年配の方の訪問が多いため、近くに駐車場をつくることがスタンダードになった。利便性を考えれば当然のことだが、実はその裏で、もともと賑わっていた参道が寂れるという現象が起きた。太宰府天満宮はそのことを予め予測し、あえて参道の入り口に駐車場をつくったのだ。 この判断から見えてくることは、「自分たちの立場どう捉え、どれくらいの時間軸で考えるのか」ということである。太宰府天満宮は1100年以上、この土地とともにあり続けている。つまり自分たちや参拝者の都合ではなく、この土地全体の都合が判断の軸になっている。Webサイトのアクセスのページを見ると「当宮までの道のりをご紹介いたします。福岡市内や日本各地から、景色の移ろいを楽しみながらお越しください」という案内がある。太宰府だけではなく、福岡県、そして日本各地のことにまで思慮が及んでおり、家を出た瞬間から参拝が始まっていることを示唆している。“自分たち”の範囲が圧倒的に広いのだ。 私は中川政七商店の13代目で比較的老舗の中でも古いと言われることが多いが、西高辻さんは40代目と圧倒的な歴史を誇る。そのような長い歴史を物語るエピソードとして、九州国立博物館の設立がある。同博物館は太宰府天満宮が福岡県に土地を無償で寄付して建てられたもので、明治時代から西高辻家が4代、約120年をかけて実現した背景がある。 ここで勘違いしてはならないのが、長い歴史がそのまま価値になるということではないということ。そうであれば、老舗はどこも良い価値を生み出せることになるが、実際にそうはなっていない。ポイントは長い歴史があるからこそ、未来も長く見ることができるということだと思う。逆に言えば、スタートアップであっても未来に対して長い視点を持てれば、歴史が影響しないこともあるだろう。