仕事で述べる意見の99%は不要だった…意見を求められても「わからない」と返してもいい3つの理由
質問に「わからない」と答えていい
少し前、あるジャーナリストに私の政治的な傾向を訊かれたことがあった。どうやら、もの書きはどんな分野のテーマにも意見を述べる資格があると思われているらしい。私は「自由主義者か権威主義者か」「所得税より消費税のほうがいいと思っているか」と尋ねられた。 私は彼の目をまっすぐ見て、「わからない」と答えた。 すると彼はボールペンを持つ手をおろし、私の答えが理解できないとでも言いたげなつくり笑いを浮かべた。 「わからないとは、どういうことですか?」──「その質問についてちゃんと考えてみたことがないからわからないということだよ」。「でも何かしら意見はあるでしょう!」──「意見はないんだ。そのテーマは私の『複雑すぎる質問用』のバケツに入っているからね」。 ありとあらゆることに意見を述べなくていいのは、とても解放感がある。それに、恥ずかしがらなくても、意見がないのは「知能の低さ」の表れではない。「知性の表れ」だ。 意見がないことはまた、財産でもある。現代が抱える問題点は、情報の過多ではなく、意見の過多だからだ。 思考の対象にするテーマは、意識して自分で選ぶようにすればいい。あなたがいま考えるべきテーマを、なぜジャーナリストや、ブロガーや、ツイッターのユーザーに決められなければならないのだろう? あなたは彼らに雇われているわけではない。 考えるテーマはきちんと選んで、それ以外のものはすべて「複雑すぎる質問用」バケツに入れておこう。 いろいろなことに意見を求められても、辞退すればいい。あなたがコメントしなくても世界は問題なくまわりつづけるのを見て、あなたはきっと驚くに違いない。
「軽率に意見を述べる」頻度を極力少なくする
だが、あなたが本当に「自分の意見」をつくりあげたいときは、どうすればいいだろう? その場合は、時間をかけて、落ち着いて、自分の考えを書き出してみるといい。 「書く」という行為は、考えを整理したいときの王道だ。とりとめのない思考も、文章にすればクリアになってくる。 そして、「ほかの誰かの意見」も参考にする。理想的なのは、あなたと考え方を異にする人の意見だ。 そしてあなたの意見がはっきりしたと思えたら、ひと通りチェックする。あなたの論拠を崩せるかどうか、自分で試してみよう。そうすればあなたの意見の確実性を確かめることもできる。 結論。軽率に意見を述べる頻度が少なければ少ないほど、あなたの人生は向上する。 あえて具体的な数字を出すなら、あなたがプライベートやビジネス上で述べる意見で本当に重要なのは、ほんの1パーセント程度。それ以外の99パーセントは、実は不要なのだ。 また、意見を求められたテーマが、あなたが厳選した思考のテーマのひとつだったとしても、あなたの火山から最初に噴き出た意見に飛びつくのはやめたほうがいい。あなたがテレビのトークショーのゲストとして招かれ、一緒に招かれたほかの5人のゲストが全員、あなたと反対の立場をとったときのことを想像してみるとわかりやすい。 あなたの意見が尊重されるのは、あなたが自分の立場を雄弁に論証できたときだけだ。 【もっと読む】『「本音を隠さない人」はやっぱり損していた…断言できる“3つの理由”』
ロルフ ドベリ(作家、実業家)