松本清張、社会派サスペンスへの飛躍『黒い福音』『聖獣配列』で巨悪を告発
社会派ミステリー作家、松本清張(まつもとせいちょう)が、実際に起きた事件や題材をもとによりリアリティーを追求した作品を発表し、社会派サスペンス作家という新しい地位を築き上げました。その大きな飛躍のきっかけとなったのが、『黒い福音』と『聖獣配列』です。両作品を通して、巨悪に対するペンの告発とその時代背景をノートルダム清心女子大学文学部教授の綾目広治(あやめひろはる)さんが解説します。
実際にあった殺人事件を題材にして書かれた『黒い福音』
前回の「『砂の器』―格差社会と犯罪―」でも述べたが、松本清張は犯人よりもその犯人をして犯罪行為に至らしめた社会の方を告発し糾弾するミステリーを多く書いた。そのような社会派ミステリーでは、証拠品や証言から真犯人を推理していくような、通常の推理小説の叙述と異なって、社会的な圧力などで或る人間が犯行を犯さざるを得なかった経緯を、説得的な叙述で展開する小説になっていく。だからその場合、読者は早い段階から犯人を知って読み進めていくわけだが、読者は犯人が犯行に赴く経緯の方を興味深く読むことになるのである。このようなミステリーは、〈倒叙物〉あるいは〈倒叙法〉のミステリーと言われている。 文芸評論家の村松剛は、すでに雑誌『文学』(1961年4月号)の「松本清張と探偵小説」という評論で、 「彼の書き方そのものが、彼の文学の性格が、すでに倒叙法的な世界なのだ」と述べている。その清張の〈倒叙法〉ミステリーの中で代表的な一つが、1959年11月から1960年6月にわたって発表された『黒い福音』(『週刊コウロン』1959年11月3日~60年6月7日)である。 これは実際に1959年3月に起こったスチュワーデス殺人事件を題材にして書かれたもので、実際の事件では、有力容疑者であったカトリック神父は警察当局の取り調べ段階で本国のベルギーに帰国してしまい、事件の真相は不明のまま迷宮入りしている。この事件に関心を持った松本清張は、「『スチュワーデス殺し』論」(「婦人公論」臨時増刊、1958年8月号)を発表し、その神父が犯人であるという仮説を提出した。その仮説に基づきながら語られたミステリーが『黒い福音』なのである。 物語は、カトリックの世界的な組織であるパジリオ会に所属するグリエルモ教会の青年神父トルベックと、生田世津子という若い女性との恋愛を軸に語り進められながら、その教会が戦後に砂糖を横流しして利益を挙げていたことなど、その教会の腐敗ぶりも描かれている。やがて世津子は、トルベックを通して、闇の組織と繋がりのある貿易商のランキャスターから麻薬運搬人の仕事を依頼される。それを断った世津子は、ランキャスターに命じられたトルベックによって殺されるのである。警察は事件の真相を把握していたようなのだが、欧米で大きな勢力を持つパジリオ会の政治力を〈考慮〉した日本政府から圧力がかかり、捜査は中途半端なところで終わってしまい、トルベックは帰国するのである。 パジリオ会にはモデルとなる組織があるようだが、『黒い福音』には、世津子たち日本人女性信者が白人の欧米男性である神父にいとも簡単に籠絡(ろうらく)される様子や、また欧米国家に尻尾を振っている当時の日本国家とが描かれていた。ともに〈欧米〉に弱い点で、両者は共通していたのだ。この小説にはそういう在り方に対する松本清張の怒りが込められていて、桑原武夫はそこには「反骨としてのナショナリズム」があると述べた。小説連載当時の1960年は安保闘争が盛り上がった年で、安保闘争は日本では初めて反体制運動とナショナリズムとが結びついた闘争であった。清張はそういう時代の動向も取り込んで書いたと言える。 グリエルモ教会の背後のパジリオ会は世界的な組織であるから、メンバーの犯罪とその隠蔽はやはり巨悪の一種であり、清張はそれを暴いたわけである。ただ、あくまで宗教組織であるから、それが一国の政治に具体的に深く関与することは稀である。しかしながら、もしも大統領や首相など、一国の政治を左右する地位にある人物たちの犯罪の場合はどうであろうか。その場合の犯罪は、最高レベルの巨悪になるであろう。 もしも、そういう巨悪を小説で扱うならば、それは謎が明快に解き明かされるミステリーではなく、蓋然性の高い仮説が提示されるような叙述の方法、たとえばサスペンスの方法が、読者にとってはよりリアリティーを感じさせてくれると考えられる。もしも警察や探偵によって事件の全容が解明されて、政治家たちが逮捕されるようなミステリー小説になったならば、それは読者にとってリアリティーのない小説になるだろう。私たちは、疑獄事件にしろ謀略の匂いの強い政治事件にしろ、それらの多くは捜査が行き詰まって迷宮入りしたことを知っているからだ。