「よく焼き」が口癖だった高倉健さん……亡くなるまで17年間パートナーだった女性がエッセー
「高倉健の愛した食卓」小田貴(た)月(か)さん 【写真】健さんと言えば…廃線が決まった終着駅の駅長を演じた「鉄道員(ぽっぽや)」
「私に出来ることは、楽しく明るくご飯を食べてもらうことでした」
色とりどりのグリーンサラダや、ポタージュ、様々な豆腐料理など、決して飾っていないのに、健康に良さそうなメニューの数々が並ぶ。これらは、『鉄道員(ぽっぽや)』『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』など、数々の名作に出演した俳優の高倉健さん(1931~2014年)が、人生の後半で口にしたものなのだという。
執筆した小田さんは、戦後の映画界を代表する名優が2014年に亡くなるまでの17年間、パートナーとしてともに過ごした。本著は、高倉さんのために自ら作り、ともに食べたメニューから約200品を再現したフォトエッセーだ。
「年齢を重ね、やりたい役とやってほしいと言われる役とのズレが生まれ、ストレスもあったと思う。私に出来ることは、とにかく楽しく明るくご飯を食べてもらうこと。そう自らに課し続けました」
小田さんは現在、高倉プロモーションの代表取締役を務めるとともに、高倉さんの没後はありし日の姿を伝えるために、数々の作品を執筆してきた。本著は2019年に『高倉健、その愛。』を刊行した際、その中で紹介した献立の一例を目にした編集者からの、「食べてみたいです」という声をきっかけにして生まれた。
高倉さんの好みや体調を気遣いながら作ったときの思い出や、料理を挟んでの名優との言葉のやり取りもおさめ、生前の姿を感じさせる貴重な記録にもなっている。「高倉が食べたのと同じような形で見ていただきたい」と、自然光や湯気、出来たてにこだわり、自ら撮影も担った。
体調管理のため、火が通ったものを好む
本の中に掲載された料理は、高倉さんの真っすぐな背中を想像させるようなものばかりだ。「もし明日、死ぬって分かったら、最後の夕食に食べるご飯」と、自身が生前に挙げたという卵かけご飯。幼少期の体験から魚より肉の方が好きで、好んだという肉じゃがやカレーライス。小田さんは、「決して特別な料理はないんです。スーパーで普通に買えるものばかり。特別なものにはあまり興味がなかったんですよ」と語る。