「トルーマンの頭は原爆投下で充満」歴史家の笠谷和比古氏 米国防長官「戦争止めた」反論
国際日本文化研究センター名誉教授で歴史学者の笠谷和比古氏は15日、東京都内で講演し、米国による原爆投下の正当化論について反論した。「投下しなければ日本は戦争をやめなかった」という言説に対して、1945年7月時点でトルーマン米大統領(当時)は日本側の和平を希望する意向を把握していたにも関わらず、8月の投下に踏み切った経緯を紹介。「トルーマンの頭には、マンハッタン(原爆投下)で全てを解決することが充満していた」と指摘した。 広島や長崎への原爆投下に関して、今年5月、オースティン米国防長官や共和党上院議員らが、戦争終結のために必要だったとの見解を示している。 一方、戦争終結を巡っては、中立条約を当時結んでいたソ連を仲介した和平交渉に取り掛かろうと、45年7月12日に昭和天皇は近衛文麿元首相を特使に任命した。ただ、ソ連のスターリン首相は同年2月にクリミア半島ヤルタでルーズベルト米大統領(当時)と英国のチャーチル首相と会談し、対日参戦を引き換えに南樺太返還、千島列島引き渡しなどの権益を受ける密約を結んでいる。 笠谷氏は「ヤルタ密約(極東条項)」を挙げて「ソ連は日本側の講話提案に対して、言を左右にして乗らない。引き延ばしを図った」と述べ、ソ連側との交渉が結実しなかった事情を説明した。 ただ、近衛特使派遣の申し出の打電は米側に無線傍受され、当時トルーマンにまで報告されていたといい、さらにトルーマンは7月18日のドイツ・ベルリン郊外ポツダムでスターリンから直接、日本側の講和に向けた交渉打診について知らされていた。 笠谷氏は、トルーマンの日記を挙げて、「スターリンに聞かされたトルーマンはどうしたか。『まったく無視だ』。日記に書いてある」と指摘した。 この2日前の16日、米国は原爆製造「マンハッタン計画」で世界初の原爆実験をニューメキシコ州で成功させていた。 笠谷氏はトルーマンの日記に「マンハッタン計画の成功」についての記述が散見されるとして、「マンハッタンで全てを解決するという考えが充満している。天皇の和平の提案は一顧だにしないのが明白だった」と語った。 笠谷氏は「『戦争を止めるために原爆は致し方なかった』という米国人がいたら、(トルーマンの日記を)見せてほしい。オースティン国防長官はどう反論するか。日本は厳しく突き付けるべきだ」と述べた上で、「日本側の提案による講和のシナリオと、原爆による戦争終結のシナリオは同時発生していた。運命のいたずらとしか言いようがない」と語った。
笠谷氏は近現代史研究家の阿羅健一氏らが主宰する「戦争プロパガンダ研究会」で講演した。(奥原慎平)