いまだ語り継がれる22年前の「猪木問答」の舞台裏、蝶野正洋が激白「本当だったら会議室でするべき話」
「おめえはそれでいいや」誕生!
正直に言えば、蝶野がそこまで出たとこ勝負に近い感覚であの場にいたとは思っていなかった。 「でも俺、どっちから猪木さんが出てくるか分かんなかったですよね。そしたら、猪木さんは(入場ゲート前に)待機してくれてて。それで出てきてくれて。自分はとにかく猪木さんがK-1とかPRIDEとかそっちに引っ張られてたから、猪木さんから『プロレス』という言葉をその時にどうしても出してもらいたかったと。そしたら猪木さんは、そんなことよりも会社が瀕死の状況なんだという話をしていましたよね」 たしかあの時、猪木は新日本のカネの流れを知る経理担当のスタッフが全日本に移ってしまったことを、「新日本の心臓部、秘密を持っていかれた」という言い方で表現し、怒りを顕にしていた。 「猪木さんはたぶん、長州さんたちのその後の動きも分かっていたんでしょうね。だけど藤波さんたちも反旗を翻している状態だったから、もう会社が成り立ってないですよ。そしたら、そこに一人、手を挙げていヤツ(蝶野)がいると。俺が手を挙げてる人間にされちゃったんですよ。俺は単純に、おかしいんじゃないですかと言いたかっただけなんだけど、じゃあお前がやれっていうね(苦笑)」 蝶野としては、単純に「ファン目線で考えて、ここで何かを手を打たないとイメージも悪いと。だから、まずは親分(猪木)にもう1回、もう1回こっち見てもらいたいと、そういうあれ(意図)だったんですけどね。別に会社のことは状況もわかってなかったから」と話した。 「だから、本当だったらあれは会議室でするべき話なんですよね。でも会議室でやったら、それは多分ひっくり返るし、変えられちゃうんですよ。だからあの場でやりたかったんですよね」 実際、あの日のリング上で蝶野は、「現場責任すべてを俺に任せてほしい。リングの上は俺が仕切る!」と宣言していることから、神である猪木に対し、言質(げんち)を取った格好だったが、瀕死の状態だった新日本は、それから3年9カ月後の2005年11月には、株式の51%以上をユークスが所有したことで、A猪木体制から徐々に別の路線にシフトしていくことになる。 ともあれ、「猪木問答」から22年以上経ってもなお、猪木が口にした「お前はそれでいいや」「ヤツらに気づかせろ!」「見つけろ、てめえで!」といった言葉が語り継がれていることを考えると、猪木と蝶野を含め、あの日のリングで発せられたエネルギーの交錯は、今だからこそ再考すべきではないかと考える。 「後からいろいろ考えると、現場の声は、あそこで若手も呼んで声を聞くっていう、あの辺の対応がやっぱすごいね。もちろん、あの場の時間を稼ぐ面もあるし、自分がこの後どういう方向に話を持っていくのか。何のストーリーもあるわけがない現場だったけど、やっぱ猪木さんの反応はすごいですよね」 最後に蝶野はそう言って、猪木の取った行動を絶賛しながら、サングラスをキラリと光らせた。“黒のカリスマ”によるA猪木伝道師の役割は、まだまだこれからも続いて行く。 (敬称略)
“Show”大谷泰顕