いまだ語り継がれる22年前の「猪木問答」の舞台裏、蝶野正洋が激白「本当だったら会議室でするべき話」
猪木だけは他の誰とも違う、別格中の別格
では、猪木と同格だった坂口の場合はどうなのか。 「もちろん、坂口さんも別格の方なんですけども、やっぱ道場にちょこちょこ来て、若手の選手を焼肉に連れてってくれたり、そういうケアはものすごいやられていたんでしょうね。他には家にも呼ばれたりとかして、みんな若い選手を育てようじゃないけど、そういうことをものすごいやっていると。その点、猪木さんはそこからもう先の人なので、合同練習とかじゃなく、忙しかったから夜中に来て2時間ぐらい練習したりとかスケジュールも違ったりしてましたからね」 要は、A猪木だけは他の誰とも違う、別格中の別格だったという。 「見た目の印象は、ホントのホントにあのままですよね。テレビで見た。テレビのまま。ただ、周りがもう『猪木さんは総長だから、お前らわかってんだろうな』と。ちょっとしたミスが出たらどうなるかって、周りがやっぱ気をつけていたからね。これが坂口さんや藤波さんだったら、ちょっとミスってもそこの関係性でなんとかすればいいけど、猪木さんは違うと。これはもう新日本の顔だし、もうプロレスラーの顔だし、やっぱ一緒に行動してればわかりますもんね。羽田空港に行ったり、東京駅とか名古屋駅に行ったら、人がドワーッと集まってきちゃう。やっぱそこをちゃんと対応できるのか。そこは付き人が間に入って、『すいません!』ってやらなきゃいけないし。他の先輩方はそこまでにはならないですから」 さて、改めてA猪木のすごさが分かった上で、蝶野と猪木の関係性を語っていくと、絶対に避けては通れない場面がある。それが、いわゆる「猪木問答」と呼ばれる場面だ。 時は2002年1月末、新日本プロレスから武藤敬司、小島聡ら複数の選手が契約を更改をせずに、複数名のスタッフを引き連れて新日本を離脱し、全日本プロレスに移籍した。理由は諸説あってひとつには決められないが、当時の新日本は大揺れに揺れたことはあきらかだった。 そして迎えた新日本プロレスの札幌大会(2002年2月1日、北海道立総合体育センター)。 蝶野は、自身の試合を終えると、「新日本には神がいる」と猪木を呼び込み、同時にリング上に永田裕志、中西学、棚橋弘至、鈴木健想(現・KENSO)らがこれを囲み、猪木による「お前はなんに怒っているんだ?」という問いに対し、各々が自身の思いをマイクを使って伝える、という、今思うと、前代未聞の場面が現出される。 「要は、新日本の中に長州さん、藤波さん、坂口さんたちも現場にいるんですけども、(社内の騒動に)対応してなかったんですよ。っていうのは、その後、長州さんも(新日本を)出ちゃうじゃないですか(※WJを旗揚げる)。みんながそういう飛び出す準備みたいなのをしてる中で、武藤さんが先に出て行って。で、それを知らない若手の残るべだろうと思ったメンバーを引き連れて行ったから、猪木さんは怒っていて。あと、社内のほうもみんな最後どっかでグループに属して、みんな出る準備をしていたんですよね。だから俺、全くそれがわからなくて、現場でおかしいなと。本来は藤波さん、長州さんが選手を集めて説明をするはずなのに、永田たちに聞いたら状況も分かってないし、説明もなかったっていうから、これはヤバいなって思っていたんですね」 そこで、蝶野は会場に来ていた猪木の控室に向かい、直談判を試みる。 「『猪木さん、今日の自分の試合が終わってなんかありましたら、猪木さんを呼びますから』って伝えたら、猪木さんが『分かった』って。だから音響の担当者に、『もしかしたら試合が終わったら、猪木さんを呼ぶかもしれないから、準備だけしといてくれ』って言って。タイミングとかは、自分の中でタイミングがあれば呼ぶし、タイミングがなければ呼べないしっていうので、その時になったらタイミングがあったんで、俺が『新日本プロレス、このリング。我々には上に一人、神がいる』ってタイミングでバッとやって、音楽かけてね」