挫折乗り越えパリオリンピックへ!フェンシング・江村美咲選手「100%のオフがあるから100%のオンができる」【メダルへの道】
2024年7月26日に開会式が行われるパリオリンピックのメダル候補を紹介する「メダルへの道」。今回は、2大会連続のオリンピック出場を決めた、フェンシングの世界女王・江村美咲選手。東京オリンピック後に経験したという大きな挫折…それをどのように乗り越えパリへの切符を手にしたのか、その理由に迫ります。 【写真18枚】挫折乗り越えパリ五輪メダルを目指すフェンシング・江村美咲選手
父はフェンシング界のレジェンド フェンシング一家で育った江村美咲選手
明るい髪が印象的でモデルのような出立ちの江村選手の家族はフェンシング一家。 父・宏二さんは選手として1988年ソウルオリンピックに出場。監督としては2008年北京オリンピックでメダル獲得に貢献した、日本フェンシング界のレジェンドです。 そんな両親の影響もあり、8歳から競技人生をスタートさせた江村選手。 「フルーレ」「エペ」「サーブル」の3種目があるフェンシングで、江村選手が現在専門とするのは「サーブル」。 フルーレとエペが「突き」だけなのに対し、サーブルは「斬り」もポイントに加わるためダイナミックな攻防が見どころの種目です。
「これ以上何をすれば…」東京五輪後に味わった挫折
3年前、2021年の東京五輪。 江村選手はメダルの期待を背負いサーブルで出場するも、結果は3回戦敗退でした。 悔しさはあったものの、「できることは全部やり切って、やり残したことはない」と語った江村選手でしたが、そんな娘の姿を見てきた父・宏二さんは当時をこう振り返ります。 父・宏二さん: オリンピックで金メダルを取るっていうのが彼女の最大の目標だったので、それまでの彼女の生活とか、勝つための思い、執着心はすごく感じていて、これ以上ないほどに自分に負荷をかけていた それほどまでに東京五輪にかけてきた江村選手を襲ったのは大きな挫折でした。 江村選手: これ以上何ができるんだろうって思いながらも休む気になれないので ずっと動き続けてたら燃え尽き症候群になってしまって… 練習漬けの日々を送り、終えた“東京オリンピック”という大舞台。 これ以上何をやれば強くなれるのか分からなくなり、江村選手は競技人生で初めてとも言える長期間の休みを取ったといいます。