東京五輪は大丈夫? 屈辱大敗した森保ジャパンが見せた光と影とは
これが準公式戦と公式戦の違いなのか……。1か月前とはまるで別のチームだった。 12月15日、タイで開催されたM-150カップ決勝でU-21日本代表(当時U-20)はU-23(当時22)ウズベキスタン代表と対戦した。このとき、PK戦の末に敗れたものの、90分間では2-2のドローだった。 ところが1月19日、中国で開催中のU-23アジア選手権の準々決勝で再び顔を合わせると、相手はメンバーがさほど変わっていないにもかかわらず、スピードも、迫力も、ゲーム運びも大きく違った。 前半のうちに3ゴールを叩き込まれた日本は、後半開始早々にもゴールを奪われ、0-4と大敗。最後まで反撃の手立てが見いだせなかった。 「強いチームだと思っていたし、タフな試合になるとも思っていましたけれど、想像以上に強かった」と、森保一監督も、完敗を認めるしかなかった。 ウズベキスタンは2年前のU-20ワールドカップで準々決勝に進出したメンバーが中心になっている。やはり、世界ベスト8の実力は、ダテではなかった。 しかし、だからこそ、この完敗からは得るものも多い。 U-21日本代表とは、2年後の東京五輪に出場する、いわゆる五輪代表である。昨年12月に立ち上げられ、前述のM-150カップ、今年1月の大阪・堺合宿を経て、最初の公式戦であるU-23アジア選手権に臨んだ。 チームを率いるのは、サンフレッチェ広島を12年、13年、15年のJ1王者に導いた森保監督である。 「なるべく多くの選手を見たい」という理由でM-150カップに臨んだ23人から15人も入れ替えてU-23アジア選手権に臨んだ一方で、自身が広島時代に採用していた3-4-2-1の可変システムを代表チームにも導入。大会を戦いながらチームコンセプトや戦術の浸透に取り組んできた。 それが、GKからの攻撃のビルドアップ、相手をワイドに広げた上でのサイドと中央の攻撃の使い分け、5トップ気味の前線のコンビネーション、5-4-1に変更して組む守備ブロック、最終ラインのリスクマネジメント……といったチーム戦術であり、約束事である。