「伯父の戦友、帰還を」アンガウル島玉砕から80年 遺骨収集に取り組む一途な思い 眠れぬ墓標
先の大戦の玉砕地の一つ、パラオ・アンガウル島で、戦死した伯父に代わって戦没者遺骨収集に取り組む遺族がいる。1カ月に及ぶ持久戦の末に日本軍がほぼ全滅してから19日で80年。この夏、部隊を率いた伯父の可能性がある遺骨が発見された。それでも「伯父の仲間を帰還させたい」といういちずな気持ちは変わらず、遺骨収集に身をささげる。 【写真】アンガウル島の守備隊長だった後藤丑雄少佐 「思いもよらないことで本当に驚いた。担架と遺骨は水平に置かれていて、棺に入れられているようだった」。長野県の後藤寛さん(75)は、7月に参加したアンガウル島の遺骨収集での出来事を振り返る。 「担架に乗った遺骨が見つかりました」。同月21日、戦闘終了後に米軍が日本軍将兵の遺体を埋葬した地で、活動中の遺骨収集団メンバーから声が上がった。近くで別の遺骨を収容中だった後藤さんの耳にも届いた。 活動場所は、米軍が作成した地図に、伯父で守備隊長だった後藤丑雄(うしお)陸軍少佐=当時(35)=を埋葬したと記載された一画。遺骨は担架の上にあおむけの状態で、乱雑に集団埋葬された遺骨もある中で、丁寧に葬られた様子がうかがえた。 少佐の戦死で弟である後藤さんの父が家を継ぎ、後藤さんは実姉2人のほか少佐の娘3人と育った。会ったことがない伯父だが、平成28年に初めて慰霊のために訪れたアンガウル島で「戦友を日本に連れ帰ってくれ」と告げられた気がした。「息子ではなく甥(おい)だから」と遠慮もあったが、姉たちに背中を押され、30年から始まった埋葬地での活動に参加した。 「『自分のことよりも仲間を』と思っているはず」。実直な性格で部下思いだったと伝わる伯父に気持ちを重ねる。「ここで見つかる遺骨に、伯父に代わって『ご苦労さまでした』と伝え、抱きしめるのが俺の役割だ」と、過酷な環境下で黙々と汗を流してきた。 担架に乗った遺骨が見つかり、収集団メンバーが色めき立つ中でも、淡々と自分の役割に徹したが、鑑定のために並べられた遺骨のそばを離れられなかった。 「ようやく父を迎えられるかもしれない」。少佐の娘である姉たちも喜んでくれ、身元確認のDNA型鑑定のための検体を提出する準備を進めている。後藤さん自身、期待がないわけではないが、念頭にあるのは、伯父とともに戦った人たちのことだ。