《きょう完結》「推しの子」で最後の最後に想定外の“炎上”が起きた深い理由「全てがリアリティショー化した世界」に“嘘”の力は通じたか
昭和の『スター誕生!』(日本テレビ系)、平成の『ASAYAN』(テレビ東京系)といったオーディション番組から新人アイドルが誕生し、彼女らが大人に成長していく姿を歌番組やテレビドラマを通して視聴者が見守ってきたことを考えると、昔から芸能界とテレビにはリアリティショー的な側面が備わっていたとも言える。 それが2010年代にSNSが大きく普及し、誰もが自分の意見をネットで発信できるようになると、リアリティショー的な側面が24時間体制となり、これまで一方的な消費者だったファンダムも積極的に発信するようになりその影響力もより強まっていく。 アイドルカルチャーでは、2010年代にAKB48が行ったシングル曲の選抜メンバーをファンが購入したCDに同封された投票券で決める選抜総選挙の大規模イベント化が決定的だった。 歌や演技といった表現力や、衣装等によって作り込まれたキャラクターといった虚構の魅力よりも、直接合って話したり握手できるといった生の接触によって得られる現実の魅力の方が重視されるようになったアイドルたちは、本来なら裏に秘められていたはずの醜い感情やゴシップ的な人間関係まで消費されるようになり、時に命を落とす事態にまで追い詰められてしまう。 これはアイドルだけでなく、政治家、スポーツ選手、作家といったあらゆる有名人に起こり得る出来事で、もはや「全てがリアリティショー化してしまった」と言えよう。
全てがリアリティショー化した世界と、「嘘」の力で戦う物語
「嘘」を武器に、完璧で最強のアイドルとなったアイの死から始まる『推しの子』は、アイドルやフィクションといった虚構がSNSを媒介としたリアリティショー化した現実に呑み込まれてしまった現代から、「嘘」の力でいかに虚構の世界を取り戻すかという果敢な戦いを描いた物語として始まった。 最も個人的で最も虚構の力が強いメディアである漫画の世界から『推しの子』が生まれたのはある種の必然で、2020年代に本作が描かれたことの意味はとても大きかったと感じる。 最終的にアクアは、アイの過去を描いた自伝映画『15年の嘘』の脚本を手がけ、映画の中で真犯人のカミキヒカルの正体を匂わすことで、マスコミと大衆が犯人暴きに向かうように誘導して、社会的制裁を下そうと目論む。