1996年夏の甲子園決勝「奇跡のバックホーム」から続く熊本工業と松山商業の交流 元指揮官が振り返る当時とその後
監督を退任し、現在は松山商業野球部OB会顧問として後方支援に徹する澤田は言う。 「高校野球の監督としての目標は、全国制覇です。でも、目的は野球を通じて"人間形成"をすること。いろいろな経験をした結果、『目標は全国制覇、目的は人間形成』という言葉が生まれました。目標と目的はまた違う。そこを間違えないようにと考えながら、指導をしてきました」 一日にして、いや、わずか10分ほどでヒーローになった矢野は高校卒業後、地元の松山大学に進み、キャプテンとして全日本選手権出場を果たした。 「あの試合を境に、矢野の周りは大きく変わりました。秋に開催された国体でもファンの人に囲まれてね。それまで列の一番後ろをついて歩くようなやつだったのに、堂々と先頭を歩くようになりました。でも、人間的にはまったく変わらん」 矢野は、傲慢なスーパースターにはならなかった。どれだけ騒がれても「素直で謙虚」な選手のままだった。28年が経った今、愛媛朝日テレビで勤務しながら、高校野球を支えている。
元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro