100年後も残したい名作『風が吹くとき』 リバイバル上映で考える繰り返してはならない現実
戦争経験者が遺したもの
NHKアナウンサーとして満州に赴任し終戦を迎えた森繁久彌。大戦直前に東宝映画でスクリーンデビューを飾った加藤治子。12歳で終戦を迎えた大島渚。きっと彼らは「戦争経験者」として意識的に本作に携わったのだろう。 1983年に発表されたピンク・フロイドのアルバム「ファイナル・カット」のサブタイトルは、"A requiem for the post war dream by Roger Waters"(ロジャー・ウォーターズによる戦後の夢へのレクイエム)となっている。そして収録曲「フレッチャー・メモリアル・ホーム」のフレッチャーとは、世界大戦に出兵しイタリアで戦死したロジャー・ウォーターズの父のことを指す。 このアルバムは、当時勃発したフォークランド紛争に対し、武力行使を決断したサッチャー英首相、ロナルド・レーガン米大統領へ批判を込めている。夢を求めていた兵隊たちの戦後没落した姿を描き、それによって戦争の悲惨さを音楽で伝えている。 また『風が吹くとき』が日本公開された1987年、奇しくもデヴィッド・ボウイは、冷戦の象徴・東西ベルリンの壁の前で野外ライブを行った。スピーカーの4分の1は会場ではなく、壁の向こう側の東ベルリンに向けていた。5千人に膨れあがった東ドイツのボウイファンは警察と衝突し逮捕者まで出た。そしてこの2年後の1989年、人々の意思が壁を壊すことになる。 しかしデヴィッド・ボウイの肉声はもう届かない。大島渚も森繁久彌も加藤治子だってこの世にいない。 筆者の亡くなった祖母の友人には手の指がなかった。空襲の焼夷弾が直撃したのだ。戦後、指の欠損では保険が降りないので、腕を切り落とせと言われたらしい。 広島の友人の近親者には被爆者がいたし、被曝2世も身近にいた。広島では8月6日になると語り部たちが、被曝当時の地獄絵図を事細かに教えてくれた。 戦争を経験した語り部たちは今はもう少ない。直接対話ができないならば、こういった作品を次の世代に残していかなければならない。 タイトルの『風が吹くとき』は、英国の伝承童謡マザーグースの一編に由来する。「風が吹いたら揺りかごゆれた。枝が折れたら揺りかご落ちる、坊やも、揺りかごも、みな落ちる。」という子守唄で、権力者の暴走を皮肉ったものである。 コロナでの分断を経て、いまなお戦争の火種が残されているこの世界で、本作を観てほしい。そして劇中で、政府に言われたとおり紙袋(じゃがいも袋)に入る意味を、「M・A・D」と打たれたモールス信号の意味を考えてほしい。