弱者が弱者を襲う 松本清張『黒地の絵』に見る戦争のもうひとつの悲劇
モデルとなった夫婦とは異なる結末
小説の取材のためにこの事件について清張も聞き込みをしたようだが、詳細はわからなかった。ただ、『福岡県警史 昭和前編』にも引用されている主婦の話にある、「ご主人の目の前で、はずかしめを受けた」「42、3歳」の「奥さん」のことは、清張の耳にも入ったのではないかと思われる。 小説に登場する前野留吉夫婦はこの夫婦がモデルになっていると考えられる。実際の「ご主人」は以後、酒におぼれて川にはまって死んだようなのだが、小説ではそのことは変えられていて、小説後半は以下のような話になっている。 ――留吉夫婦は離婚し、留吉は小倉キャンプに送られてくる米兵の戦死体を処理する処理班の雇員としてキャンプで働いていた。彼は黒人兵の刺青に「興味」があるようで、「探しているんです」(原文には傍点あり)と言う。ある日、留吉は黒人兵の死体の刺青を解剖用ナイフで切り刻んでいた。その死体には女性器の刺青があったのである。―― 留吉は死体の刺青を切り刻むことで〈復讐〉を遂げたと言えるが、留吉が処理班の仕事をしているとき、白人兵の方が黒人兵よりも多いのに戦死体の数では逆の比率になっているのは、「戦線の配置による」ということを聞かされて、彼は「黒人兵はそうされることを知っていたのでしょうか?」と問う。そして、「殺されるとはおもっていたでしょう」、「黒んぼもかわいそうだ。かわいそうだが――」と「つぶや」く。
清張が訴えたかった、戦争のもうひとつの悲劇
彼らの暴行や輪姦などの犯罪の背景には、戦地に赴かなければならないことへの恐怖があったのを、留吉は知ったわけである。それは彼の怒りを少しではあるが、和らげることになったであろう。もっとも、留吉の「つぶや」きには、「かわいそう」だからと言って黒人兵の罪が消えるわけではないという思いが込められている。しかし「かわいそう」と留吉に「つぶや」かせたことには、やはり彼ら黒人兵も同情されるべき存在であった、という作者清張の声が聞こえてくるであろう。 『黒地の絵』には、名作『砂の器』に代表的に見られるような構図が、すなわち加害者側も背を押されるようにして犯罪に赴いてしまうのであり、彼らにも被害者の一面があるのだという構図が、すでに出てきている。その背を押すのは社会や政治組織であったりする。そのような考えの元に『黒地の絵』以降、松本清張は多くのミステリーや犯罪小説を書いていったのであるが、その嚆矢(こうし)、つまり始まりが「黒地の絵」であったのである。その意味で、冒頭で述べたように、松本清張の作家人生の中で『黒地の絵』は、エポックメイキングな小説であった。 さらには言えば、松本清張の多くの仕事が事件や史実に基づきながらも、そこにはそれらの事実に必ずしも忠実ではなく、テーマをより強く押し出すために史実などに改変を加えていくという、清張独特の小説構成方法についても、「黒地の絵」は嚆矢であった。 たとえば、留吉は戦死体の処理班の仕事で米軍兵の死体に触れているのだが、実際には死体処理について無資格の日本人雇員は死体に接触することはできなかったのである。しかし、その接触がなければ、留吉の〈復讐〉は遂げられずに終わり、物語としては言わば画竜点睛を欠くものになったであろう。だから、あえて清張は死体に触れることのできる場所に留吉を置いたのである。 戦争の悲劇は兵士とその家族だけにあるのではない。多くの人を巻き込んで悲惨な眼に遭わせるのが戦争である。泉下の松本清張は、きな臭さを増しつつある昨今の日本を深く憂慮していることであろう。 (ノートルダム清心女子大学文学部・教授・綾目広治) ※今日の人権感覚からは不適当な表現があるが、原文を尊重してそのまま引用しました。