’24政治決戦(4)石破首相の「アジア版NATO」は暴論か
「樋口レポート」が引き起こした波紋
今回の「アジア版NATO」構想の不評ぶりを見て思い出されるのは、1994年に政府に提出された「樋口レポート」(「日本の安全保障と防衛力のあり方」)をめぐる騒動である。55年体制を終焉させた細川護熙政権下で、冷戦後の新たな国際環境への対応を企図して樋口廣太郎・元アサヒビール会長を座長とする有識者懇談会が発足し、この提言をまとめた。 波紋を呼んだのは、同提言が冷戦後の日本の安全保障政策の主柱として、(1)多国間安全保障(2)日米同盟の二つを挙げ、(1)(2)の順番で報告書に記載したことだった。これに対して日米の安全保障関係者の間で、日米同盟を2番目としたのは日米同盟を軽視し、アメリカ離れを意図している表れだと受け止める向きがあったのである。 同提言を執筆した渡邉昭夫氏(東京大名誉教授)は、(1)と(2)は相互補完的なものであり、順番で優劣をつけたわけではないと強調するが、日米同盟を先に記すよう求める内外からの圧力は予想以上だったと振り返る。それでも提言でこの順序を維持したのは、硬直化しがちな「ともかく日米同盟」の発想に刺激を与える意図があったからだという。 米ソ冷戦終結直後の当時は、アメリカがアジア太平洋での軍事的関与を削減するのではないかという見方が関係諸国にあり、アメリカはそれへの対応として「ナイ・レポート」を公表し、アジア太平洋における米軍「10万人体制」の維持を打ち出した。 もちろん、当時と今日で状況も異なれば、引き起こした波紋の意味も異なる。だが、樋口レポートと「アジア版NATO」には、アメリカの関与の相対的低下を多国間の枠組みで補おうという問題意識という点で通底するものがあるように見える。そして、そのような問題意識に対して、日米同盟を軽視、あるいは相対化するものだとして危惧し、警戒する反応が表れたという点でも一定の共通性がうかがえる(「アジア版NATO」については、アジア諸国に脅威認識など共通の基盤がないことが批判の力点だが)。