都市型水害の「東海豪雨」から20年 コロナ禍でも住民ら「語り継ぐ」
2000年に東海地方を襲った東海豪雨による水害を「語り継ぐ集い」が9月11日、名古屋市西区であった。台風や豪雨災害は絶えず、今年はコロナ禍でボランティア活動なども制限される中、20年前の「都市型水害」を経験した住民らは防災・減災への決意を新たにしていた。
死者10人、名古屋中心に激しい浸水被害
2000年9月11日から12日にかけ、本州付近に停滞していた秋雨前線に向かって台風からの暖かく湿った空気が流れ込み、東海地方に線状降水帯が発生。名古屋で観測史上最大の1時間雨量97ミリを記録するなど、各地で猛烈な雨が降った。 川の氾濫や土砂崩れによって愛知県や三重県で死者10人、住宅の全半壊約200棟、床上・床下浸水約7万棟などの被害に。この地域では1959年の伊勢湾台風以来の災害となり、国の激甚災害に指定された。 名古屋市や隣接する愛知県西枇杷島町(現・清須市)を流れる「新川」では堤防が決壊。周辺の住宅地が濁流にのみ込まれ、名古屋市西区だけで最大1万3000人が避難所生活を余儀なくされた。決壊現場の向かいにある西区の「あし原公園」には翌年、豪雨の犠牲者を悼む慰霊碑が立てられ、毎年9月11日早朝に住民有志の「東海豪雨を語り継ぐ会」が追悼式を開いている。
コロナ禍で規模縮小も節目で注目
今年はコロナ禍で住民向けには規模を縮小。50人ほどが参加する例年より半分ほどの参加者になったが、20年の節目ということもあってマスコミ各社が取材。午前6時から始まった式では、主催者の一人で当時、障害を抱える娘とともに避難生活を送った戸水純江さんが「節目の20年、あらためてあのときの状況を思い出す。こういうご時世だが、縮小や自粛をしながらもぜひやりたいという思いがあった」と語りかけた。 慰霊碑の前には竹灯籠で「9・11」と「20」の数字が灯り、全員で黙祷。地元住民で胡弓演奏家の石田音人(ねひと)さんが復興を願って作詞作曲した「水仙~風に光る花」の演奏が流れる中、水仙の球根を植えて当時を振り返った。 (関口威人/nameken)